専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

【NBAスター悲話】デイビッド・トンプソン――“スカイウォーカー”と呼ばれた天才スコアラーが味わった転落のキャリア【前編】

大井成義

2019.12.02

 トンプソンはルーキーイヤーからその実力を遺憾なく発揮し、ABAに旋風を巻き起こした。平均26.0点はリーグ3位で、堂々のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。新人ながらオールスターにも選ばれ、29得点をマークしMVPを獲得している。後にNBAでもオールスターMVPを手にするのだが、両リーグで同賞を受賞した選手は、後にも先にもトンプソンただ1人。

 ナゲッツがトンプソン獲得のために売ったギャンブルは見事に当たり、チームはレギュラーシーズン首位でプレーオフに臨んだ。そこでもトンプソンは新人離れした活躍を見せ、チームを球団史上初となるファイナルへと導き、ドクターJ率いるニューヨーク・ネッツとABA史に残る死闘を繰り広げている。その後ナゲッツは、NBAでもファイナル進出を果たせていない。

 その年、ABAでは経営悪化のため閉鎖に追い込まれるチームが続出、翌年には生き残った4チームがNBAに吸収され、9年間続いたABAの歴史は呆気なく幕を閉じることになった。アナリストの多くは、「NBAの方がレベルは高く、元ABAのチームはNBAでは通用しないだろう」といった見方をし、また元ABAのチームにはドラフト権が与えられなかったり、不利な笛が多く吹かれたりと風当たりも強かった。
 
 そんな状況においても、トンプソンの勢いは止まることがなかった。ピート・マラビッチやジャバーらに次いで、リーグ4位となる平均25.9点を記録。大方の予想を覆し、ナゲッツは並みいる強豪を押しのけてミッドウエスト・ディビジョンの首位に輝き、ABAの誇りを保ったのだった。

 翌1977-78シーズンには、ガービンとNBA史上最も熾烈な得点王争いを繰り広げた。2位で最終戦を迎えたトンプソンは73得点を叩き出し(チェンバレンが持つNBA記録の100得点、78得点に次ぐ当時歴代3位タイの記録)、僅差で首位に躍り出た。すると同日、ガービンが63得点を記録し土壇場で再逆転に成功、得点王の座に輝いた。ガービンの平均得点は27.22点、トンプソンとの差はわずか0.07点だった。

 その年のプレーオフ中に、トンプソンはナゲッツと5年400万ドルという超大型契約を結ぶ。アメリカのチームスポーツ史上最高額で、若くしてリーグのトップ選手どころか、“世界一リッチなアスリート”という称号まで手に入れた。その時トンプソンは弱冠23歳。この世の春を謳歌するトンプソンに、地獄が待ち構えているとは知る由もなかった。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2003年3月号掲載原稿に加筆・修正。
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号