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NBA

【NBAスター悲話】デイビッド・トンプソン――“スカイウォーカー”と呼ばれた天才スコアラーが味わった転落のキャリア【前編】

大井成義

2019.12.02

 この頃、カレッジではUCLAが圧倒的な強さを誇っていた。前人未到の7連覇を達成すると、1974年も“史上最高の白人センター”ビル・ウォルトンを擁し、8連覇が確実視されていた。NCAAトーナメントを順調に勝ち進み、迎えたファイナル4。準決勝でUCLAの前に立ちはだかったのは、トンプソン率いるノースカロライナ州大だった。

 2度のオーバータイムという大激戦の末、勝利をもぎ取ったのはノースカロライナ州大。立役者はもちろんトンプソンで、20㎝の身長差をものともせずウォルトンのシュートを見事ブロック、最終局面でリバウンドをウォルトンに競り勝ち、その後決勝点となるジャンパーを決めたのもトンプソンだった。

 ファイナルではマーケット大を難なく下し、ノースカロライナ州大に初のNCAAタイトルの栄冠をもたらすと同時に、自身もMVPを獲得した。その翌シーズンには主要個人アウォードを総なめにし、また3年連続でオールアメリカンに選ばれるなど、大学時代に受賞したメジャーな個人賞の数は40を優に超えている。
 
■23歳にして手にした「世界一リッチなアスリート」の称号

 順風満帆な大学生活を終えたあと、トンプソンを待っていたのはプロの熾烈な獲得競争だった。当時はNBA、ABAの2つのプロリーグが存在し、互いに鎬を削っていた。NBAからはアトランタ・ホークスが、ABAからはバージニア・スクワイヤーズがそれぞれ1位で指名。それまで1位指名選手がABAを選択したケースはなかったが、トンプソンが選んだのはドクターJやジョージ“アイスマン”ガービンなど、個性的かつ優秀なタレントが集まり、派手でエキサイティングなプレーを売り物にしているABAの方だった。

 1975年、トンプソンは満を持してプロの世界に飛び込んでいった。スクワイヤーズとのトレード権を持っていたデンバー・ナゲッツが1対5の超大型トレードを敢行、トンプソンはナゲッツの一員としてプロ生活をスタートさせる。その時結んだ5年250万ドルという契約は、ルーキーとしてはすべてのプロスポーツのなかで過去最高の高額契約だった。田舎町の赤土でプレーして育った若者は、一夜にして億万長者となった。
 

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