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NBA

“史上最高のカレッジプレーヤー”ラルフ・サンプソンを巡った空前絶後の獲得競争【NBAドラフト史|1983】

大井成義

2019.12.18

14位指名のドレクスラーは球宴出場10度を誇る1983年組の出世頭。優勝には無縁と思われたが、現役の晩年に3度目のファイナル挑戦で夢を叶えた。(C)Getty Images

14位指名のドレクスラーは球宴出場10度を誇る1983年組の出世頭。優勝には無縁と思われたが、現役の晩年に3度目のファイナル挑戦で夢を叶えた。(C)Getty Images

■並々ならぬ執念が実り1位指名権を得たロケッツ

 NBAドラフトにロッタリー制度が導入される1985年までは、両カンファレンスの最下位チームが、コインの裏表で1位指名権を争う“コインフリップ”が採用されていた。カンファレンスの最下位にさえなれば、5割の確率でカレッジのトップ選手を獲得できるのである。弱小チームや狡猾なチームがタンク(試合にわざと負けること)行為に走るのも無理はなく、毎シーズンのようにタンキングが繰り返されていることは公然の秘密だった。

 1983年のサンプソン獲得競争においては、イースタン・カンファレンスのペイサーズとウエスタン・カンファレンスのロケッツが、ともにラスト30試合を4勝26敗で終え、それぞれカンファレンス最下位の座を射止めることに成功。計画通りコインフリップに臨んだ。

 ドラフトの1か月半前、ニューヨークのホテルで運命のコインフリップは行なわれた。その数日前、ロケッツはペイサーズに対し、複数人の選手および将来のドラフト指名権、プラス数百万ドルもの現金と引き換えに、1位指名権の譲渡をオファーしている。だがペイサーズは拒否。ロケッツのサンプソン獲得に賭ける情熱には、並々ならぬものがあった。
 
 NBAコミッショナーのラリー・オブライエンが、100年前の1ドル銀貨を空中に放り投げると、コインは表を上に止まった。勝ったのはロケッツ。尋常ならざる執念を持って、ロケッツは見事サンプソン獲得に成功したのだった。

 高校2年の時点で身長216㎝に達していたサンプソンは、最終学年時に平均30点、19リバウンド、7ブロックを記録。全米中の強豪大学から勧誘が舞い込み、サンプソンがキャンパスを下見に訪れるだけでニュースになり、大きな話題となった。プロからの誘いもあり、後に本人が語ったところによると、セルティックスのレッド・アワーバックGMが100万ドルの現金をアタッシュケースに詰め、サンプソンの自宅を訪れたそうだ。両親の忠告もありオファーは辞退したが、当時としては破格の金額である。

 サンプソンが選んだ大学は、当時は弱小校だったバージニア大。環境の良さと、実家から一番近かったことが選択の理由だった。サンプソンの加入により、バージニア大は一夜にして強豪へと生まれ変わる。それまでNCAAトーナメントに1度しか出場したことがないチームが、すぐさまファイナル4進出を果たし、翌年以降もトーナメントの常連校となった。
 

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