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NBA

“史上最高のカレッジプレーヤー”ラルフ・サンプソンを巡った空前絶後の獲得競争【NBAドラフト史|1983】

大井成義

2019.12.18

19位指名のジョン・パクソンは1985年にジョーダン率いるブルズに移籍し、“スリーピート”に貢献した。(C)Getty Images

19位指名のジョン・パクソンは1985年にジョーダン率いるブルズに移籍し、“スリーピート”に貢献した。(C)Getty Images

 史上最高のカレッジプレーヤー、サンプソンの不憫な末路。故障さえなければ、オラジュワンとともにロケッツに黄金時代をもたらし、マイケル・ジョーダン率いるブルズと死闘を繰り広げていたことだろう。さらには、初代ドリームチームに選出され、ワールドワイドで人気を博していたかもしれない。だが、実際はそうならなかった。期待が大きかっただけに失望も並大抵ではなく、サンプソンは厳しい現実と対峙しながら、第二の人生を送ることになる。

 その一方で、思いがけない幸運を手に現役生活を終えた選手もいる。14位でブレイザーズに入団したクライド・ドレクスラーだ。

 ドレクスラーとオラジュワンを中心に、豪快なダンクやファーストブレイクを前面に押し出し、ストリートスタイルのバスケットボールを展開するヒューストン大は、カレッジ界で一大旋風を巻き起こした。ニックネームは“ファイ・スラマ・ジャマ”。ドラフト直前のNCAAトーナメントでは優勝候補の筆頭に挙げられ、順当にファイナルまで駒を進めるも、2点差で惜敗。
 
 NBAではブレイザーズのエースとしてファイナルまで2度到達したが、バッドボーイ・ピストンズとジョーダンズ・ブルズの前に涙をのんだ。優勝を一度も経験することなくキャリアを終えそうな気配が濃厚となりつつあったその時、バスケットボールの神様は粋なはからいをする。地元球団ロケッツへの電撃トレード。ドレクスラーのトレードリクエストにブレイザーズが応え、ロケッツが獲得に名乗りを上げたのだった。故郷ヒューストンの地で、かつての相棒オラジュワンと再びタッグを組み、ドレクスラーは夢にまで見た優勝をとうとう手に入れる。

 試合直後の優勝セレモニー。選手の中で最初にマイクを向けられたオラジュワンは、神への感謝を口にした後、真っ先にこう述べた。

「クライドが最初のチャンピオンシップを取れて、とても嬉しいよ」。

 続いてドレクスラー。

「最高だね。How sweet it is!(なんて素敵なんだ!)」


文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年10月号掲載原稿に加筆・修正。
 

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