「バスケットボールは常に多くのものを私に与えてくれたが、幸せだけは与えてくれなかった」
輝かしい名声や実績とは裏腹に、自らのバスケットボール人生を通して幸福感や満足感を得ることができなかったのだという。そして現役を退いた後、苦労の末に探し求めていた“幸せ”をようやく見つけたものの、皮肉なことにバスケットボールのコート上で、手に入れた明るい未来を突然失ってしまう。さらには司法解剖の結果、驚愕の事実が判明する――。
かくして、ピストル・ピートは伝説となった。
◆ ◆ ◆
第2次世界大戦が終了して間もない1947年、ペンシルベニア州のピッツバーグにほど近い小さな田舎町に、高校のバスケットボールコーチの息子としてピート・マラビッチは生まれた。父のプレスは元プロ選手であり、息子を一流のバスケットボール選手に仕立て上げるのが彼の夢だった。
まだ目の見えない息子を試合に連れていき、ヨチヨチ歩きの息子にゴム製のバスケットボールを買い与えた。そのボールはマラビッチにとって最も大切なオモチャとなり、ベッドに入る時にも欠かさず枕元に置いて寝るほどだった。
マラビッチが7歳になると、プレスは裏庭で息子への本格的なレッスンを開始した。プレスは特別なメニューをマラビッチに与え、その内容は普通の子どもたちが取り組む練習の域をはるかに超えたものだった。
例えば“リコチェット”と名付けられたドリル。肩幅に開いた足の間を、身体の前方から45度の角度でボールをバウンドさせて通し、背後でキャッチする。そして背後から前方へ、その動作を可能な限り素早く繰り返す。生まれながらにして抜群の運動センスと器用さを併せ持っていた少年はめきめきと上達していき、しまいには素早く動く手が霞んで見えなくなるほどだった。
頭上に高く放り上げたボールを背後でキャッチする、そんなドリルもあった。最初は高さ1m50cm程度でも失敗して突き指ばかりしていたが、慣れてくると10m近くの高さまで投げ上げたボールを難なくキャッチできるようになった。そして、ボールを投げて取るまでの間に何回膝を叩けるか、そんなオプションまでもが練習に付け加えられた。
マラビッチは映画館に行くときもボールを欠かさずに持っていった。通路側の席に座り、暗闇の中オープニングからエンディングまで片手でドリブルしながら映画を観た。通路に分厚いカーペットが敷かれていたとはいえ、なるべく音を立てないように出来る限り低いドリブルを小刻みに続けた。
また、ドリブルをしながら学校に通う子どもは何人もいたが、マラビッチは自転車に乗りながらドリブルして学校に通った。父親が運転する車の助手席に座り、窓から手を伸ばして車を走らせながらドリブルをすることもあった。嵐の日、雨でぬかるんだ泥の上でドリブルするとどんな感じだろう、そんな突拍子もない発想を実際に試してみたことさえあった。
輝かしい名声や実績とは裏腹に、自らのバスケットボール人生を通して幸福感や満足感を得ることができなかったのだという。そして現役を退いた後、苦労の末に探し求めていた“幸せ”をようやく見つけたものの、皮肉なことにバスケットボールのコート上で、手に入れた明るい未来を突然失ってしまう。さらには司法解剖の結果、驚愕の事実が判明する――。
かくして、ピストル・ピートは伝説となった。
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第2次世界大戦が終了して間もない1947年、ペンシルベニア州のピッツバーグにほど近い小さな田舎町に、高校のバスケットボールコーチの息子としてピート・マラビッチは生まれた。父のプレスは元プロ選手であり、息子を一流のバスケットボール選手に仕立て上げるのが彼の夢だった。
まだ目の見えない息子を試合に連れていき、ヨチヨチ歩きの息子にゴム製のバスケットボールを買い与えた。そのボールはマラビッチにとって最も大切なオモチャとなり、ベッドに入る時にも欠かさず枕元に置いて寝るほどだった。
マラビッチが7歳になると、プレスは裏庭で息子への本格的なレッスンを開始した。プレスは特別なメニューをマラビッチに与え、その内容は普通の子どもたちが取り組む練習の域をはるかに超えたものだった。
例えば“リコチェット”と名付けられたドリル。肩幅に開いた足の間を、身体の前方から45度の角度でボールをバウンドさせて通し、背後でキャッチする。そして背後から前方へ、その動作を可能な限り素早く繰り返す。生まれながらにして抜群の運動センスと器用さを併せ持っていた少年はめきめきと上達していき、しまいには素早く動く手が霞んで見えなくなるほどだった。
頭上に高く放り上げたボールを背後でキャッチする、そんなドリルもあった。最初は高さ1m50cm程度でも失敗して突き指ばかりしていたが、慣れてくると10m近くの高さまで投げ上げたボールを難なくキャッチできるようになった。そして、ボールを投げて取るまでの間に何回膝を叩けるか、そんなオプションまでもが練習に付け加えられた。
マラビッチは映画館に行くときもボールを欠かさずに持っていった。通路側の席に座り、暗闇の中オープニングからエンディングまで片手でドリブルしながら映画を観た。通路に分厚いカーペットが敷かれていたとはいえ、なるべく音を立てないように出来る限り低いドリブルを小刻みに続けた。
また、ドリブルをしながら学校に通う子どもは何人もいたが、マラビッチは自転車に乗りながらドリブルして学校に通った。父親が運転する車の助手席に座り、窓から手を伸ばして車を走らせながらドリブルをすることもあった。嵐の日、雨でぬかるんだ泥の上でドリブルするとどんな感じだろう、そんな突拍子もない発想を実際に試してみたことさえあった。