現役ではブレイク・グリフィン(ピストンズ)がロサンゼルス・クリッパーズ時代にこの番号を着用。大学時代は23番だったが、クリッパーズではマーカス・キャンビーが着けていたため数字を入れ替えた。ピストンズにトレードされた際は前述の通りハミルトンの欠番だったので、昔の番号に復帰。兄のテイラーも8試合だけサンズでプレー経験があり、32番を着けていた。
センターでは、ペイサーズなどでプレーしたハーブ・ウィリアムズが19年間ずっと32番。シカゴ・ブルズ黄金時代の“応援団長”ウィル・パデューやジョン・コンカックのように“大きいだけが取り柄”の白人ビッグマンもいたが、現役最高の32番であるカール・アンソニー・タウンズ(ウルブズ)は正反対のプレースタイルで、まさに新世代のセンターと言える。
変わったところでは、1970年代には極めて珍しかった高卒選手のビル・ウィロビー(元ホークスほか)、1993、95年のスラムダンク・コンテストで優勝しながら、わずか4年でリーグを去ったハロルド・マイナー(元ヒートほか)も32番。インド系で最初のNBA選手となった身長226cmのシム・ブラー(国籍はカナダ)は、2015年にキングスの32番として3試合だけ出場している。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。
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センターでは、ペイサーズなどでプレーしたハーブ・ウィリアムズが19年間ずっと32番。シカゴ・ブルズ黄金時代の“応援団長”ウィル・パデューやジョン・コンカックのように“大きいだけが取り柄”の白人ビッグマンもいたが、現役最高の32番であるカール・アンソニー・タウンズ(ウルブズ)は正反対のプレースタイルで、まさに新世代のセンターと言える。
変わったところでは、1970年代には極めて珍しかった高卒選手のビル・ウィロビー(元ホークスほか)、1993、95年のスラムダンク・コンテストで優勝しながら、わずか4年でリーグを去ったハロルド・マイナー(元ヒートほか)も32番。インド系で最初のNBA選手となった身長226cmのシム・ブラー(国籍はカナダ)は、2015年にキングスの32番として3試合だけ出場している。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。
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