【パワーフォワード】
ラマーカス・オルドリッジ
1985年7月19日生。211cm・113kg
在籍期間:9シーズン(2006~15年)
成績:648試合、平均19.4点、8.4リバウンド、1.9アシスト
一番濃厚なキャリアを送ったパワーフォワードは、ビル・ウォルトンの用心棒的存在のモーリス・ルーカスだが、在籍期間が3年半では短すぎる。そこで9シーズンにわたり安定した成績を残したオルドリッジを選んだ。
入団当初は同期のロイが華々しい活躍を披露し、その陰に隠れがちだったが、徐々に存在感を高めて2011-12シーズンからは4年連続でオールスターに選出。サンアントニオ・スパーズ移籍後も含め、ここまで7回の球宴出場を果たしている。高い打点から放たれる独特のジャンプショットを武器に、ブレイザーズ在籍時のラスト2年は平均20点&10リバウンド超えをマークした。
しかしながら自身がエースを務めた時期は、チーム成績は今ひとつ。リラードが入団してからは、再び2番手的存在に回った。スパーズでの立場もカワイ・レナードのナンバー2だったし、2006年のドラフトでブルズに指名された時も2位。ただし何もかもが2番目ではなく、通算リバウンド5434本はブレイザーズ史上1位である。
【センター】
ビル・ウォルトン
1952年11月5日生。211cm・95kg
在籍期間:4シーズン(1974~78年)
成績:209試合、平均17.1点、13.5リバウンド、4.4アシスト
ウォルトンがブレイザーズでプレーしたのはたった4年、しかも出場試合数は209で、フルシーズンに換算すれば2年半程度。それでも1977年、ポートランドに唯一の優勝をもたらしたこの男は絶対に外せない。
「ウィルト・チェンバレン(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)のオフェンス力とビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)のディフェンス力を兼ね備えた選手」と呼ばれ、UCLA時代からスーパースター街道を邁進。1974年のドラフトでは当然のように1位指名を受けたが、故障がちで最初の2シーズンは計78試合に欠場した。
だが1976-77シーズンは平均14.4リバウンド、3.2ブロックで両部門のスタッツリーダーに輝くと、プレーオフではますます手がつけられなくなる。シクサーズとのファイナルでは平均18.5点、19.0リバウンド、3.7ブロックに加え、5.2アシストもチーム最多。ファイナルMVPに輝いたのも当然のハイパフォーマンスだった。
翌1977-78シーズンには球団史上唯一のシーズンMVPにも選ばれたが、ケガでプレーオフには2試合しか出場できず。翌年も全休したのち、1979年にポートランドを去った。
文●出野哲也
【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!
ラマーカス・オルドリッジ
1985年7月19日生。211cm・113kg
在籍期間:9シーズン(2006~15年)
成績:648試合、平均19.4点、8.4リバウンド、1.9アシスト
一番濃厚なキャリアを送ったパワーフォワードは、ビル・ウォルトンの用心棒的存在のモーリス・ルーカスだが、在籍期間が3年半では短すぎる。そこで9シーズンにわたり安定した成績を残したオルドリッジを選んだ。
入団当初は同期のロイが華々しい活躍を披露し、その陰に隠れがちだったが、徐々に存在感を高めて2011-12シーズンからは4年連続でオールスターに選出。サンアントニオ・スパーズ移籍後も含め、ここまで7回の球宴出場を果たしている。高い打点から放たれる独特のジャンプショットを武器に、ブレイザーズ在籍時のラスト2年は平均20点&10リバウンド超えをマークした。
しかしながら自身がエースを務めた時期は、チーム成績は今ひとつ。リラードが入団してからは、再び2番手的存在に回った。スパーズでの立場もカワイ・レナードのナンバー2だったし、2006年のドラフトでブルズに指名された時も2位。ただし何もかもが2番目ではなく、通算リバウンド5434本はブレイザーズ史上1位である。
【センター】
ビル・ウォルトン
1952年11月5日生。211cm・95kg
在籍期間:4シーズン(1974~78年)
成績:209試合、平均17.1点、13.5リバウンド、4.4アシスト
ウォルトンがブレイザーズでプレーしたのはたった4年、しかも出場試合数は209で、フルシーズンに換算すれば2年半程度。それでも1977年、ポートランドに唯一の優勝をもたらしたこの男は絶対に外せない。
「ウィルト・チェンバレン(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)のオフェンス力とビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)のディフェンス力を兼ね備えた選手」と呼ばれ、UCLA時代からスーパースター街道を邁進。1974年のドラフトでは当然のように1位指名を受けたが、故障がちで最初の2シーズンは計78試合に欠場した。
だが1976-77シーズンは平均14.4リバウンド、3.2ブロックで両部門のスタッツリーダーに輝くと、プレーオフではますます手がつけられなくなる。シクサーズとのファイナルでは平均18.5点、19.0リバウンド、3.7ブロックに加え、5.2アシストもチーム最多。ファイナルMVPに輝いたのも当然のハイパフォーマンスだった。
翌1977-78シーズンには球団史上唯一のシーズンMVPにも選ばれたが、ケガでプレーオフには2試合しか出場できず。翌年も全休したのち、1979年にポートランドを去った。
文●出野哲也
【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!