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NBA

"ドリームチーム"結成の引き金になった屈辱のソウル五輪の真実。アメリカのプライドが崩れた日――

出野哲也

2019.11.09

スパーズの大黒柱となったロビンソンだが、この大会での敗戦により「勝負弱い」と揶揄されるように。(C)Getty Images

スパーズの大黒柱となったロビンソンだが、この大会での敗戦により「勝負弱い」と揶揄されるように。(C)Getty Images

 アメリカは3位決定戦でオーストラリアに圧勝したものの、自国発祥のスポーツであるバスケットボールにおいて、銅メダルという結果に満足する者はいなかった。オーグモンは銅メダルをホテルの部屋に置き忘れて帰国してしまったが、もしメダルの色が違ったら、そのようなぞんざいな扱いはしていなかっただろう。また、ロビンソンがNBA入りしたあとに度々「大勝負に弱い」と揶揄された原因は、この大会にもあったのだ。

 決勝戦はソ連がサボニス(20得点、15リバウンド、3ブロック)とマーシャローニス(21得点、6アシスト)の活躍でユーゴスラビアを下し、72年以来2度目の金メダルを獲得。91年に共産主義体制が終焉を迎え、解体されたソ連にとって、ソウル大会は最後のオリンピックとなった。
 
 89年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)が国際大会におけるプロ選手の参加を解禁。マーシャローニス、ディバッツ、ペトロビッチらがNBAデビューを果たしたこともあり、リーグは急速に国際化していく。一敗地に塗れたアメリカも、続く92年のバルセロナ五輪では王国の威信をかけ、NBAのスーパースターを集めたドリームチームを結成して臨むことになるのだった。

 もしソウルでの屈辱がなかったら、「オリンピックはアマチュア選手のための大会」「大学生だけでも勝てる」といった理由で、”ドリームチーム”が送り込まれることはなかったかもしれない。そういった意味で、ソウル五輪はバスケットボールの歴史においても、大きな意味を持つ大会となったのだ。

文●出野哲也(フリーライター)

※『ダンクシュート』2019年8月号より転載。
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