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NBA

4世代を超えて“宝物”となった史上最高のダンカー、ヴィンス・カーターの波乱万丈のキャリア

大井成義

2020.01.05

超絶ダンクで人気者となったカーターだが、首脳陣との関係悪化によって2004年にネッツへ移籍。以降長きにわたり、凱旋試合ではトロントのファンから激しいブーイングを受けることに。(C)Getty Images

超絶ダンクで人気者となったカーターだが、首脳陣との関係悪化によって2004年にネッツへ移籍。以降長きにわたり、凱旋試合ではトロントのファンから激しいブーイングを受けることに。(C)Getty Images

 この原稿を書くにあたり、カーターのダンク集を改めて何本か観てみたのだが、まったくもって凄いとしか言いようがない。アクロバティックなダンクの進化は思いのほか早く、多くのダンクは時間とともに古さを感じたりするものだが、カーターの場合は身体能力があまりに凄すぎて、時代を完全に超越してしまっているのだ。

 現地アメリカの“歴代ベストダンカー”的なランキングをいくつか見てみると、マイケル・ジョーダンやドミニク・ウィルキンスと並び、カーターはほぼ間違いなくトップ3以内に入っている。様々なランキングのデータを片っ端からリサーチして集計すれば、たぶん1位はカーターのような気がする。

■トロントのトレジャーからリーグ全体のトレジャーへ

 2001-02シーズンの終盤、カーターは左ヒザのケガにより最後の21試合を欠場した。そのケガが、その後も彼をいろんな意味で苦しめることになる。2002年のオフに手術を行ない、翌シーズンは39試合を欠場。この頃から、順調に回っていたカーターの歯車は、少しずつ狂っていった。

 2004年のオフ、チームの低迷を理由にGMとコーチングスタッフが一斉解雇されると、カーターは経営陣に反発。加えて、改革案として提示されたジュリアス・アービングのGM招聘は反故にされ、新HCのサム・ミッチェルとも自身の起用法を巡って衝突を繰り返した。そしてついに、怒り心頭に発したカーターはトレードを要求。2004年12月、とうとうその時が訪れる。ネッツとのトレード。トロントのシンボルが、不満を置き土産に自らチームを去っていったのだった。
 
 2005年4月、カーターのトロント初凱旋試合。ラプターズファンは、チーム史上最大級のブーイングと野次でカーターを出迎えた。大勢の人々が、侮辱の言葉が印刷されたTシャツや、カーターの背番号15の入った赤ちゃんの涎掛けを身に付け、カーターがボールを持つたびに盛大なブーイングがアリーナにこだました。ケガであれだけ不調だったのが、移籍先のネッツで大活躍していることも災いし、それまでの深い愛情は何倍もの憎悪へと変わった。そして、ブーイングはその日以降も延々と続くことになる。

 カーターはネッツでの5シーズンを経てマジック、サンズ、マブズ、グリズリーズ、キングス、ホークスと渡り歩く。ケガと加齢により、全盛期のバケモノじみた跳躍力は影を潜めたものの、練習では今でも豪快なウインドミルダンクを叩き込み、『YouTube』には“カーター42歳のダンク集”と題された動画がアップされているほどだ。齢42にして1シーズンを乗り切るだけの体力を保ち、衰えた運動能力を経験と技術で十分カバーできる力を維持している。

 2014年11月19日のラプターズ対グリズリーズ戦、カーターはグリズリーズの一員としてエアカナダ・センター(現スコシアバンク・アリーナ)のコートに立っていた。その日はラプターズの創設20周年記念イベントが執り行なわれ、第1クォーターのタイムアウト中に1分少々の短いトリビュート映像がアリーナビジョンに映し出された。
 

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