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NBA

【NBAスター悲話】ドラゼン・ペトロビッチ――クロアチアが生んだ不世出の天才バスケットボールプレーヤー【前編】

大井成義

2019.12.06

「これまであんなに練習熱心なヤツは見たことがない。チーム練習の1時間半前から個人練習を始め、終了後も2時間は1人黙々とシュート練習を繰り返している。それも毎日だ」。

 こんなエピソードもあった。遠征先で午前中の練習が終わった後、多くの選手は昼寝をするか軽食を摂ってリラックスする。ある日の午後、ヘッドコーチのチャック・デイリーがホテルのジムに足を運ぶと、そこにはマシンで汗を流しているペトロビッチの姿があった。デイリーは苦笑いしながらこう言って聞かせたそうである。

「ドラゼン、君はすでに素晴らしいシェイプだよ。君が今すべきことはただひとつ、休養を十分に取って今夜の試合に備えることだけだ」。

 もうひとつ、ペトロビッチがチームメイトを唸らせた点があった。それは彼の尋常ならざるアグレッシブさと気性の激しさである。それまでのヨーロッパ出身選手は、NBAに溶け込むことを最優先課題とし、また言葉の問題もあり、波風を立てることを極力避けるのが普通だった。しかしペトロビッチは違った。ウィリアムズは言う。
 
「ドラゼンは木の棒を振り回しながら林の中を歩いているようなものだった。あのジョーダンやレジー・ミラーにも物怖じすることなく突っかかっていく。トラッシュトークなんて日常茶飯事だったよ」

 ペトロビッチの凄まじいまでの練習への取り組みと揺るぎない自信、そして果てることのない向上心は、着実に結果へと結びついていった。翌1992-93シーズン、NBAでのベストシーズンを迎えることになる。平均得点はチーム最高となる22.3点(リーグ11位)、フィールドゴール成功率51.8%(20位)、3ポイント成功率44.9%(3位)、フリースロー成功率87.0%(9位)。

 ネッツを2年連続でプレーオフに導き、チームのフロアリーダーとして大車輪の働きを見せた。ヨーロッパ出身選手初のオールスター出場という栄誉は逃し、悔しさを味わったものの、オールNBA3rdチームに選ばれ、ペトロビッチはついにリーグのトップ・シューティングガードの仲間入りを果たしたのだった。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2003年4月号掲載原稿に加筆・修正。
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