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NBA

ユーイング登場でロッタリー制度が初導入された1985年――ニックスの1位指名権獲得はNBAの仕組んだ陰謀だった?【NBAドラフト史】

大井成義

2019.12.20

史上最小兵のダンク王、ウェッブも1985年ドラフト組。4巡目87位と評価は低かったが、12年に渡ってNBAでプレーした。(C)Getty Images

史上最小兵のダンク王、ウェッブも1985年ドラフト組。4巡目87位と評価は低かったが、12年に渡ってNBAでプレーした。(C)Getty Images

■ユーイング以外にも、1984年組に匹敵するだけの名選手を輩出

 ユーイング以外にも、この年のドラフトでは多くの優秀なタレントが指名されている。個人的には、史上最高とされる前年の1984年組(マイケル・ジョーダン、オラジュワン・チャールズ・バークレー、ジョン・ストックトン)や1996年組(アレン・アイバーソン、コビー・ブライアント、スティーブ・ナッシュ)、2003年組(レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、カーメロ・アンソニー)に次ぐ豊作年だと思っている。

 殿堂入りを果たした選手の数4人は1984年と同数で(ユーイング、クリス・マリン、カール・マローン、ジョー・デュマース)、特筆すべきは息の長い名選手を数多く輩出している点だ。リーグに15年以上在籍した選手を調べてみると、過去最多となる10人を輩出している(長い順にチャールズ・オークレー、マローン、ユーイング、テリー・ポーター、マリン、デトレフ・シュレンプ、AC・グリーン、タイロン・コービン、ベノイト・ベンジャミン、ジョー・クライン)。

 変わり種として、NBA歴代最高身長タイ記録(231㎝)を持つマヌート・ボルと、ミズノのCM「小さかったら高く跳べ」で日本でも一躍有名になった史上最低身長(170㎝)のダンク王、スパッド・ウェッブが指名されたのもこの年である。
 
 だが何と言っても、当時を知る古参のNBAファンにとって、1985年のドラフトといえばユーイングというビッグネームの登場と、それに付随する初めてのロッタリー導入、そして陰謀説が強烈な印象として残っているようだ。果たして真実はどうだったのか。それが暴かれる日は、永遠に来ないものと思われる。酒場談義のネタとして、この陰謀説は今後も尾ヒレを付けながら、脈々と語られていくに違いない。

 最後に。ニックスによる1位指名権獲得が判明した直後、前出のCBSアナウンサーが興奮した声で発した名台詞を紹介しよう。

「諸君、バスケットボールがニューヨークシティに戻ってきました!!」

 その台詞通り、ユーイングを中心に熱いプレーを繰り広げたニックスは、1990年代に第2次黄金期を迎える。悲願の優勝こそ果たせなかったものの、バスケットボールは確かに、メッカのニューヨークに戻ってきたのだった。それだけは揺るぎのない真実である。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2015年12月号掲載原稿に加筆・修正。
 
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