70年代には、NBAで活躍したUNC出身者が何人も現われた。ボブ・マッカドゥー(元バッファロー・ブレーブス/現ロサンゼルス・クリッパーズほか)は75年にシーズンMVPに輝いたほか、74年からは3年連続で得点王を獲得。オールディフェンシブ1stチームに8度選出されたボビー・ジョーンズ(元シクサーズほか)、オールスターに6回出場した78年の新人王ウォルター・デイビス(元サンズほか)らの活躍も光った。また、デイビスはのちに入学するジョーダンが少年時代に憧れた選手の1人としても知られている。
76年のモントリオール五輪ではスミスが代表チームを率い、UNCからも4人(デイビス、フィル・フォード、ミッチ・カプチャック、トム・ラガード/元ダラス・マーベリックスほか)の選手が出場し金メダルを獲得。前回のミュンヘン五輪でライバルのソビエト連邦に敗れていただけに、国の威信を取り戻した勝利となった。
フォードはUNCの当時の通算得点とアシストの学校記録を樹立。熱心なUNCファンの間では、大学時代に限ればジョーダン以上のプレーヤーだったと見る者もいたが、NBAではカンザスシティ・キングス(現サクラメント・キングス)で79年に新人王に選ばれたものの、選手としては短命に終わった。
カプチャックはブレッツとレイカーズでリーグ制覇を経験するも、キャリアを通じてケガに苦しみ、31歳の若さで引退を余儀なくされた。その後もレイカーズに残り、GMとして4度優勝。ノースカロライナに戻った現在は、シャーロット・ホーネッツのGMとして働いている。
77年はトーナメント決勝まで勝ち上がったものの、格下のマーケット大に敗北。のちにレイカーズの〝ショータイム・バスケットボール〞の一角として名を馳せるジェームズ・ウォージーがエースを務めた81年も、決勝でアイザイア・トーマス(元ピストンズ)を止められずインディアナ大の前に屈する。すでに名コーチの評価を確立していたスミスだが、全米王座はいまだ果たせぬ夢だった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2016年7月号掲載原稿に加筆・修正。
76年のモントリオール五輪ではスミスが代表チームを率い、UNCからも4人(デイビス、フィル・フォード、ミッチ・カプチャック、トム・ラガード/元ダラス・マーベリックスほか)の選手が出場し金メダルを獲得。前回のミュンヘン五輪でライバルのソビエト連邦に敗れていただけに、国の威信を取り戻した勝利となった。
フォードはUNCの当時の通算得点とアシストの学校記録を樹立。熱心なUNCファンの間では、大学時代に限ればジョーダン以上のプレーヤーだったと見る者もいたが、NBAではカンザスシティ・キングス(現サクラメント・キングス)で79年に新人王に選ばれたものの、選手としては短命に終わった。
カプチャックはブレッツとレイカーズでリーグ制覇を経験するも、キャリアを通じてケガに苦しみ、31歳の若さで引退を余儀なくされた。その後もレイカーズに残り、GMとして4度優勝。ノースカロライナに戻った現在は、シャーロット・ホーネッツのGMとして働いている。
77年はトーナメント決勝まで勝ち上がったものの、格下のマーケット大に敗北。のちにレイカーズの〝ショータイム・バスケットボール〞の一角として名を馳せるジェームズ・ウォージーがエースを務めた81年も、決勝でアイザイア・トーマス(元ピストンズ)を止められずインディアナ大の前に屈する。すでに名コーチの評価を確立していたスミスだが、全米王座はいまだ果たせぬ夢だった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2016年7月号掲載原稿に加筆・修正。