2014年、ジョージはアメリカ代表チームの練習試合において、右足2箇所の開放骨折という重症を負った。その大ケガを克服し、2010年組最多となる6回のオールスター選出を果たしている。故障がちなウォールやカズンズに代わり、このドラフトクラスの出世頭へと成長した。
冒頭のロッタリーで、ウォール獲得に向け人一倍気合の入っていたグランジャーだったが、ペイサーズが手にした指名順位は10位。結果が発表された瞬間、グランジャーは頭をうなだれながら大げさに首を振り、失望ぶりをアピールしていた。だが、1か月後のドラフトで獲得した選手が、後にスター選手となるジョージであり、むしろ最もラッキーなチームだったわけだ。
あの頃、ペイサーズの中心選手として活躍していたグランジャーの姿は、もうNBAにない。2012年に左ヒザを痛め、さらには新鋭ジョージの著しい台頭もあり、ペイサーズは瞬く間にジョージのチームになっていった。居場所を失ったグランジャーは、2014年にトレードで放出され、翌2015年にはユニフォームを脱いでいる。
今、2010年のドラフトロッタリーで頭をうなだれながら首を振っているグランジャーの映像を目にすると、未来を暗示しているかのようにも見え、そこはかとなく切ない気持ちになってしまう。これもまた、ドラフトとロッタリーという“歓喜と無常のドラマ”がもたらした悲哀と言えよう。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年4月号掲載原稿に加筆・修正。
冒頭のロッタリーで、ウォール獲得に向け人一倍気合の入っていたグランジャーだったが、ペイサーズが手にした指名順位は10位。結果が発表された瞬間、グランジャーは頭をうなだれながら大げさに首を振り、失望ぶりをアピールしていた。だが、1か月後のドラフトで獲得した選手が、後にスター選手となるジョージであり、むしろ最もラッキーなチームだったわけだ。
あの頃、ペイサーズの中心選手として活躍していたグランジャーの姿は、もうNBAにない。2012年に左ヒザを痛め、さらには新鋭ジョージの著しい台頭もあり、ペイサーズは瞬く間にジョージのチームになっていった。居場所を失ったグランジャーは、2014年にトレードで放出され、翌2015年にはユニフォームを脱いでいる。
今、2010年のドラフトロッタリーで頭をうなだれながら首を振っているグランジャーの映像を目にすると、未来を暗示しているかのようにも見え、そこはかとなく切ない気持ちになってしまう。これもまた、ドラフトとロッタリーという“歓喜と無常のドラマ”がもたらした悲哀と言えよう。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年4月号掲載原稿に加筆・修正。