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Jリーグ・国内

「雑草魂」でJ1へ辿り着いた新鋭ドリブラー。坂元達裕が語るプロ1年目で結果を残せた理由【独占インタビュー後編】

多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

2020.03.23

子どもの頃の憧れは香川。柔軟なボールタッチを見て、「こうなりたい」と思ったという。 写真:(C)Mutsu FOTOGRAFIA

子どもの頃の憧れは香川。柔軟なボールタッチを見て、「こうなりたい」と思ったという。 写真:(C)Mutsu FOTOGRAFIA

――具体的にどう変わったのですか?

「とにかく頑張って走るって考えていたのが、まずは落ち着こうと。一つひとつのボールタッチを冷静にできるようになったら、周りが見えるようになって、そうしたら余裕が出てきて……それから、またドリブルが楽しくなってきたんです」

――そこで、ひと皮むけたと。

「間違いなくひとつの大きな分岐点でした。で、それから身長もみんなに追いついてきて、自信を取り戻せた。しかも一度ガムシャラに頑張るプレースタイルを通ったから、守備もサボらないようになった。そう考えたら、そのスランプ期も無駄ではなかったかもしれません」

■小さい頃は本当にビビリで、すぐに緊張してしまうタイプだったけど……。

――これまでのキャリアでそういったターニングポイントは他にありましたか?

「東洋大での4年間ですね。鈴木徳真(現・徳島)や渡邊凌磨(現・山形)とか、世代別代表の選手がいて、ついていくだけで必死だった高校時代とは違って、サッカー人生で初めてチームを引っ張る立場になりました。高校では3年の夏くらいまではスタメンで出たり出なかったりで、大学にもスポーツ推薦では行けなかった。だけど東洋大では1年生の夏頃から試合に絡んで、4年になった時には10番を背負わせてもらいました。すごく順調でしたね、そこまでは……」
 
――そこまでは?

「実は、それからプレッシャーとか責任感を背負い過ぎてしまって、自分のプレーができなくなったんです。何をやろうにも、なかなか身が入らなくて。しかも、そんなときに限って怪我をするし、復帰しても試合に出してもらえなくて。恥ずかしいんですが、納得いかなくて泣いた時もありました。周りのみんなはどんどんプロ内定が決まっていくから、尋常じゃない焦りを抱いていて。結果的にトーナメントを勝ち抜いてインカレ出場に貢献できましたけど、本当にその時期を乗り越えるのが大変でした」

――どう折り合いをつけたのですか?

「もちろんチームを引っ張るのは重要だけど、まずは自分が試合に出なきゃ意味がないと吹っ切れたのが良かったです。それがチームのためになるんだと順序付けて考えるようになったら、重荷が下りて、自分らしくプレーできるようになりました」

――プロ1年目から臆せずプレーできたのは、そういった挫折を経験して精神的に強くなったからだったのですね。

「そうかもしれません。小さい頃は本当にビビリで、大事な試合ですぐに緊張してしまうタイプでした。それでも何度も心をへし折られて、またチームを背負う立場も経験して、精神的に成長できた。だからプロ1年目で結果を残して、今こうしてセレッソでプレーできているんじゃないかなって」
 

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