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海外サッカー

非国民と呼ばれる“侮辱”にも耐え忍んだ英雄。若き日に受けた喝采と罵声――アルゼンチン代表とメッシの18年【前編】

チヅル・デ・ガルシア

2023.02.07

ゴール前でやや精彩を欠いて、得点機を逸した2007年のコパ・アメリカでのメッシ。この時は国内メディアからも猛烈な避難を受けた。(C)Getty Images

ゴール前でやや精彩を欠いて、得点機を逸した2007年のコパ・アメリカでのメッシ。この時は国内メディアからも猛烈な避難を受けた。(C)Getty Images

 2007年6月にベネズエラで開催されたコパ・アメリカに出場した時、メッシはすでにバルセロナで異彩を放つ若きスターとして世界的な注目を浴びていた。大会前に行なわれたアルジェリアとのテストマッチで2得点をあげていたのも重なって、母国での期待も高まっていた。

 有力紙『La Nacion』には、メッシが「大会最優秀選手賞の最有力候補」であると書かれ、コパ・アメリカ準々決勝のメキシコ戦で決めた美しいループシュートによるゴールについては、どのメディアも一斉に「代表におけるメッシのベストゴール」と手放しで絶賛。大会を通じて、「バルセロナのメッシ」が代表でもマジカルなプレーを魅せてくれる瞬間を待ち望むアルゼンチンの人々の思いは強まり続けていた。

 それだけに、決勝で“宿敵”のブラジルに敗れた反動は大きかった。

 その後に始まった南アフリカ大会に向けたW杯予選での不甲斐ない戦いぶりもあり、アルフィオ・バシーレ監督が率いたA代表に対する批判はいたるところで噴出。無論、メッシもバルセロナで輝けば、輝くほど「代表ではまるで別人」と常に比較されるようになっていった。
「バルセロナではハットトリックをするのに、代表では1ゴールがやっと」
「バルセロナではヘディングでゴールを決めるのに、代表ではできない」
「バルセロナではフリーキックから直接ゴールを狙うのに、代表ではやらない」
 
 私たちは一体、何度このような比較を聞かされたことだろう。それはディエゴ・マラドーナとの比較よりもずっと非情で残酷で、無意味な対比だった。

 そんななかで、2008年にメッシはバルセロナの意向に反して北京五輪に出場する。彼は代表に対する帰属意識を明確に示し、見事に金メダルを獲得したのだが、五輪サッカーを「FIFAの管轄ではないユースレベルの大会」と受けとめるアルゼンチンのサッカーファンの心を動かすには至らなかった。

 成績不振を受けたバシーレの辞任後、マラドーナが代表監督に就任する。この時にメッシはレジェンドから「メッシはもはや『期待の若者ではない』。今すぐ大人になって代表を背負わなければならない」と言われ、直々に代表の背番号10を継承された。しかし、それでも世論を変えるには至らなかった。

 バロンドール受賞者(2009年)として大きな期待をかけられながら、2010年に南アフリカで開催された2度目のW杯も無得点に終わった。これによって「メッシ=代表では役立たず」のレッテルを貼られてしまったのである。

 さらに酷かったのは、翌年にアルゼンチンで開催されたコパ・アメリカだった。私はあの大会で、母国のサポーターから耳を塞ぎたくなるほど酷い罵声を浴びるメッシを見た。

 前述の北京五輪でU-23代表を優勝に導いたセルヒオ・バティスタ監督の指揮の下、ホスト国となったアルゼンチンは優勝の最有力候補と謳われた。だが、ここでもゴールを決められなかったメッシには容赦ない批判が飛び交った。ジャーナリストのニコラス・ディスタシオはテレビのサッカー討論番組で「もうサッカー選手はやめて、他の職業を探した方がいい」と言い放ち、スタジアムではブーイングを浴び、侮辱された。そして国歌を歌わないことを指摘されて「非国民」とまで呼ばれた。
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