勝利の瞬間、有明コロシアムに大の字になり、全国タイトルを掛けて戦う重圧を全身から解き放った。
未来を担うテニス少年・少女たちが集う、国内最高峰大会の全日本ジュニア選手権(8月16日~28日/東京・有明)。その18歳以下の部を制した小山ほのりは、2006年3月生まれの17歳。人口わずか7万人の町から、世界を目指す彼女の"初の全国タイトル"獲得は、日本のテニス界で萌芽した種々の活動が、線としてつながった成果でもあった。
小山がテニスに出会ったのは、7歳の時。
「お母さんのお友達が家に遊びに来た時、そのご主人がテニス好きな方で。『この近所に大きなテニスコートがあり、そこですごい選手たちが練習しているんだよ』って教えてくれたんです」
教えてもらった「大きなテニスコート」とは、ATPチャレンジャーや国別対抗戦の会場にもなっている、兵庫県三木市のビーンズドーム。その地を拠点として練習しているのは、日比野菜緒や加藤未唯といった、グランドスラム常連の日本のトッププロたちである。
そのビーンズドームで選手の指導にあたるコーチ陣は、折しも9年前、ある試みに着手した。それは、「人口7万人強のこの町でも、環境を作ればテニスをする子どもは増えるし、プロ選手も生まれる」という仮説の実現。そのために、まずは子どもたちを対象としたレッスン会をビーンズドームで開催した。
小山もその活動に触れ、テニスに魅せられた一人。
「ものすごく楽しかったんです! 日比野さんとも打たせてもらって。コーチたちが『このお姉さんは、すごい選手になるんだよ』と言っていたのを覚えています」
初めてラケットを握った日の興奮は、今も熾火のように彼女の胸で熱を放つ。 その時から小山は、双子の姉と共に、少年・少女対象のレッスンを受け始めた。
身長が急激に伸びた中学生時には、戦績も関西トップクラスに成長。通信制高校に進学した時には、明確に「プロ」を目指すようになっていた。
だが昨年12月に、左足首のじん帯を切った頃から、気持ちがふさぎ始める。
「ずっとプロになりたいと思ってきたけれど、私はケガも多いし、けっこう気持ちが弱い方なんです。そういう人ってプロになれるんかな? なっても、やっていけるんかなって……」
未来を担うテニス少年・少女たちが集う、国内最高峰大会の全日本ジュニア選手権(8月16日~28日/東京・有明)。その18歳以下の部を制した小山ほのりは、2006年3月生まれの17歳。人口わずか7万人の町から、世界を目指す彼女の"初の全国タイトル"獲得は、日本のテニス界で萌芽した種々の活動が、線としてつながった成果でもあった。
小山がテニスに出会ったのは、7歳の時。
「お母さんのお友達が家に遊びに来た時、そのご主人がテニス好きな方で。『この近所に大きなテニスコートがあり、そこですごい選手たちが練習しているんだよ』って教えてくれたんです」
教えてもらった「大きなテニスコート」とは、ATPチャレンジャーや国別対抗戦の会場にもなっている、兵庫県三木市のビーンズドーム。その地を拠点として練習しているのは、日比野菜緒や加藤未唯といった、グランドスラム常連の日本のトッププロたちである。
そのビーンズドームで選手の指導にあたるコーチ陣は、折しも9年前、ある試みに着手した。それは、「人口7万人強のこの町でも、環境を作ればテニスをする子どもは増えるし、プロ選手も生まれる」という仮説の実現。そのために、まずは子どもたちを対象としたレッスン会をビーンズドームで開催した。
小山もその活動に触れ、テニスに魅せられた一人。
「ものすごく楽しかったんです! 日比野さんとも打たせてもらって。コーチたちが『このお姉さんは、すごい選手になるんだよ』と言っていたのを覚えています」
初めてラケットを握った日の興奮は、今も熾火のように彼女の胸で熱を放つ。 その時から小山は、双子の姉と共に、少年・少女対象のレッスンを受け始めた。
身長が急激に伸びた中学生時には、戦績も関西トップクラスに成長。通信制高校に進学した時には、明確に「プロ」を目指すようになっていた。
だが昨年12月に、左足首のじん帯を切った頃から、気持ちがふさぎ始める。
「ずっとプロになりたいと思ってきたけれど、私はケガも多いし、けっこう気持ちが弱い方なんです。そういう人ってプロになれるんかな? なっても、やっていけるんかなって……」