史上最強牝馬の誉も高いアーモンドアイを手掛け、”牝馬の国枝”とも呼ばれるトレーナー・国枝栄。そのニックネームをいただく土台を作ったのが、2010年に史上3頭目の牝馬三冠に輝いたアパパネである。
アパパネは、父キングカメハメハ、母ソルティビッド(父Salt Lake)という血統で、父母ともに金子真人の所有馬だった。母が繁殖牝馬としてノーザンファームに預託されたため、日本での生産者(生産牧場)表記は「ノーザンファーム」となるが、欧米標準の表記であれば、アパパネの生産者は「金子真人」または「金子真人ホールディングス㈱」となるケースである。
父キングカメハメハの2年目の産駒であるアパパネは、母ソルティビッドを管理した国枝栄の厩舎に預託され、2009年7月の新馬戦(福島・芝1800m)でデビュー。ここは3着に取りこぼしたものの、4か月弱の休養を経て臨んだ未勝利戦(東京・芝1600m)を快勝。ここから軌道に乗った彼女は、11月の赤松賞(500万下、東京・芝1600m)を圧勝し、一気に2歳女王決定戦の阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ、阪神・芝1600m)へと駒を進める。
単勝2番人気に推されたアパパネは、中団の後ろ目10番手から追走すると、直線でインを付いて鋭く伸びて馬群を突き抜け、追いすがるアニメイトバイオを半馬身退けて優勝。自身の重賞初制覇をGⅠの舞台で飾るとともに、父キングカメハメハに産駒初のGⅠタイトルをプレゼントした。そして2009年度のJRA賞で最優秀2歳牝馬に選出され、名実ともに翌年の牝馬クラシック戦線の主役へと躍り出た。
アパパネが関西のレースへ出走する際には、「栗東留学」という手法が用いられた。これは国枝がアパパネの母ソルティビッドの現役時代から導入したもの。早めに栗東トレーニング・センターの出張馬房へ入厩し、国枝が「美浦よりも負荷をかけやすい」という栗東の坂路を用いて調教し、また繊細な牝馬にとってリスクとなりやすい長距離の直前輸送を避けられるメリットを見込んでの手法であった。アパパネは阪神ジュベナイルフィリーズで「栗東留学」を経験。それを受けて2010年の春にも同様の臨戦過程を取り入れることになる。
アパパネは、父キングカメハメハ、母ソルティビッド(父Salt Lake)という血統で、父母ともに金子真人の所有馬だった。母が繁殖牝馬としてノーザンファームに預託されたため、日本での生産者(生産牧場)表記は「ノーザンファーム」となるが、欧米標準の表記であれば、アパパネの生産者は「金子真人」または「金子真人ホールディングス㈱」となるケースである。
父キングカメハメハの2年目の産駒であるアパパネは、母ソルティビッドを管理した国枝栄の厩舎に預託され、2009年7月の新馬戦(福島・芝1800m)でデビュー。ここは3着に取りこぼしたものの、4か月弱の休養を経て臨んだ未勝利戦(東京・芝1600m)を快勝。ここから軌道に乗った彼女は、11月の赤松賞(500万下、東京・芝1600m)を圧勝し、一気に2歳女王決定戦の阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ、阪神・芝1600m)へと駒を進める。
単勝2番人気に推されたアパパネは、中団の後ろ目10番手から追走すると、直線でインを付いて鋭く伸びて馬群を突き抜け、追いすがるアニメイトバイオを半馬身退けて優勝。自身の重賞初制覇をGⅠの舞台で飾るとともに、父キングカメハメハに産駒初のGⅠタイトルをプレゼントした。そして2009年度のJRA賞で最優秀2歳牝馬に選出され、名実ともに翌年の牝馬クラシック戦線の主役へと躍り出た。
アパパネが関西のレースへ出走する際には、「栗東留学」という手法が用いられた。これは国枝がアパパネの母ソルティビッドの現役時代から導入したもの。早めに栗東トレーニング・センターの出張馬房へ入厩し、国枝が「美浦よりも負荷をかけやすい」という栗東の坂路を用いて調教し、また繊細な牝馬にとってリスクとなりやすい長距離の直前輸送を避けられるメリットを見込んでの手法であった。アパパネは阪神ジュベナイルフィリーズで「栗東留学」を経験。それを受けて2010年の春にも同様の臨戦過程を取り入れることになる。
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