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「メダル以外は価値がない」新谷仁美が“頼れるパートナー”と共に東京五輪へ!32歳の進化を見せられるか?

寺田辰朗

2021.01.21

昨年12月4日に行なわれ日本選手権の10000mで優勝し東京五輪代表に内定した新谷仁美。(C)Getty Images

 1年前までは夢物語に思えた女子長距離トラック種目のメダル獲得が、32歳のカムバックランナー、新谷仁美(積水化学)の成長で現実的になった。

 12月の日本選手権10000mで、3位選手を周回遅れにした30分20秒44の優勝タイムは、従来の日本記録を28秒も更新した。リオ五輪翌年の2017年以降では、19年世界陸上金メダルのS・ハッサン(オランダ)の29分36秒67、17年世界陸上金メダルのA・アヤナ(エチオピア)の30分16秒32に続き3番目のタイムである。

「久しぶりに自分の中で満足できるレースができました。世界ではタイムよりも勝負を考えないといけませんが、タイムが同じレベルになかったら、ペース変動の大きい世界のレースに対応できません。世界は29分台なのでまだまだですが、今回のタイムでその第一段階はクリアできました」

 新谷は13年世界陸上モスクワ大会で5位に入賞したが、そのレースでさえ「メダル以外は価値がない」と自身の結果を斬って捨てた。その大会を最後に競技から遠ざかり、18年に約5年ぶりに現役復帰した。「ブランドもののバッグを買うこと」が現役復帰の理由だったが、走るからにはメダル獲得を一番の目標とする。

「国民の皆さんはメダル以外は評価しない」が、新谷の口癖になっている。だから「走ることが好きなわけではない」と公言しながら、結果を出すことに異常ともいえるこだわりを見せる。復帰1年後の19年世界陸上ドーハでは31分12秒99で11位。入賞まで約7秒という好成績を残すことができたのは、新谷のプロ意識のなせるワザだった。
 
 それでも新谷はモスクワと同様に、「日本の恥」とドーハの走りを酷評した。客観的に見れば評価される結果でも、新谷自身は銅メダル(30分25秒20)から46秒、200m以上も引き離されたことが許せなかった。モスクワでは銅メダルとの差が約10秒だったのだ。「世界は進歩している」と、現実を突きつけられた。

 そこで手を差し伸べたのが男子800mの前日本記録保持者、横田真人コーチだった。現役復帰後、形の上では横田コーチが指導者だったが、練習は新谷が13年までやっていたことをベースに行なっていた。13年当時の新谷は所属チームの指導者を信用できず、誰にも頼らずに走っていた。ドーハまではそのスタイルで、競技結果の責任全てを自身が負って走っていたのである。