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高木美帆が覚悟を決めた北京五輪の舞台裏。27歳の大エースが世界の頂点に上り詰めるまで

矢内由美子

2022.03.08

北京五輪では4つのメダルを手にした高木。ストイックな印象が強いが、お茶目な一面もありファンから愛されている。(C)Getty Images

 短距離から長距離まで4種目の合計で争うスピードスケート世界選手権オールラウンド部門が3月5、6日にノルウェー・ハーマルで行なわれ、高木美帆が3年ぶり4度目の表彰台となる銀メダルを獲得した。2月20日に閉幕した北京五輪では金1つを含む4個のメダルを獲得し、夏を含めた日本女子の歴代最多獲得メダル数を7に伸ばした高木。27歳の大エースはどのようにしてトップオブトップに上り詰めたのだろうか。

【北京五輪PHOTO】スピードスケート女子1000mで金メダル!北京で4つのメダルを獲得した高木美帆の雄姿をお届け

 13日間で5種目7レースを滑ってからまだ2週間。北京ではレース後や会見などでもしばしば咳き込む様子があり、コンディション面が心配されたが、高木自身が「五輪とはまた違う、挑む価値がある大会」と位置づけているのが世界選手権。冬季五輪より古く1893年に第1回が開催された歴史あるこの大会への意欲はしっかりとチャージされたままだった。疲労回復にも余念はなかった。

 やると決めたからには最後までやり抜く。それが高木の流儀である。勝負に挑もうとするとき、高木が最初に行なうのは自分自身の気持ちに正面から向き合うことだ。遡ること約5年。2014年ソチ五輪の出場を逃した高木が2018年平昌五輪に向けての意識を語ったことがある。

「ソチ五輪の前の自分には甘さがあった。五輪にすべてを懸ける勇気と覚悟がなかった。平昌には、4年間その覚悟を持って挑もうと決めた」

 甘さがあったと断じてはいるが、ソチ五輪前というのはほぼ高校生だった時期だ。成熟した大人のアスリートになってからの高木は一貫して極めて高い意識を持ち続けている。その姿が鮮明に出たのは北京五輪だった。
 
 5種目にエントリーしていた高木は、大会序盤の3000m(6位)と1500m(2位)を終えた時点で本調子ではないことを感じていたこともあり、連覇を狙うチームパシュートの予選と決勝の間に日程が組まれていた500mの出場を迷う時間があったという。

「500mに強い気持ちで挑めるのか、自分の中でそれができるかどうかを本気で考えた」

 棄権すら脳裏をかすめるほど突き詰めて考え、自分で出ると決断し、そしてスタートラインに立った。その500mでは自己ベストを出してうれしい銀メダルを獲得。この流れが1000mの金メダルへつながった。
 
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