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格闘技・プロレス

独創的かつ幅広い“才能”の持ち主だった須藤元気。「変幻自在のトリックスター」はいかにして出来上がったのか【K-1名戦士列伝】

THE DIGEST編集部

2022.03.26

格闘技の技術的にも秀でていた須藤。その能力とパフォーマンスセンスはいかにして創造されていったのか。写真:産経新聞社

格闘技の技術的にも秀でていた須藤。その能力とパフォーマンスセンスはいかにして創造されていったのか。写真:産経新聞社

 1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

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 格闘技においてセンスや才能と呼ばれる要素は厄介だ。なければ苦労するし、あったらあったで持て余す場合もある。

 トップクラスの才能を持ち、それを十分に使ったと言える選手は決して多くはない。そのなかで数少ない1人が須藤元気だ。彼の才能は独創的かつ幅広いものだった。

 学生時代はレスリングで期待されていたが、渡米して柔術を学んだ。「ビバリーヒルズ柔術クラブ」所属としてパンクラスに登場したのは、1999年のことだった。

 この時期に彼をインタビューした際、日本のジム、団体所属としてデビューしなかった理由を教えてくれた。普通に“新人”として見られるのではなく、アメリカ帰りの“逆輸入ファイター”のほうが話題になると考えたのだそうだ。

 そういう意味でも策士だった。パンクラス時代には、相手の両足を抱えるとプロレス技のジャイアントスイングで回し、そこからアキレス腱固めという驚きのフィニッシュも披露している。

 名声がさらに高まるのは、2002年からのK-1 MAX参戦だ。立ち技ファイターでないにもかかわらず、第1回日本トーナメントに出場した須藤は、1回戦で敗れたものの優勝候補の小比類巻貴之からバックブローでダウンを奪ってみせた。この予想外の一撃がトーナメント、さらにはK-1中量級というジャンルに火をつけたと言ってもいいだろう。

 同時期に活躍した山本“KID”徳郁の存在もあって、K-1でも総合格闘技の流れができていった。K-1系総合イベント「HERO'S」がスタートすると、須藤はその主力選手になった。その前にはUFC参戦も果たし、ラスベガスの大会場で勝利を収めた。彼の視野は日本にとどまっていなかったのだ。

 華も実力もある男は、HERO'Sのトーナメントで決勝に進出。KIDに敗れたもののトップファイターとしての力を披露。アメリカでパフォーマンス・アートを学んでいたという入場時のダンスパフォーマンスも話題になり、いつしか“変幻自在のトリックスター”というキャッチフレーズで愛されるようになった。
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