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格闘技・プロレス

打たれても、体格差があっても、屈しなかった“猛者”。今に繋がる「ムエタイ幻想」を生んだチャンプア【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.09.16

体格差のあるライバルをものともしなかったチャンプア。ムエタイの歴史を世界に広めるのに大きく貢献したのが、彼だった。※写真は本人のFacebookより提供

体格差のあるライバルをものともしなかったチャンプア。ムエタイの歴史を世界に広めるのに大きく貢献したのが、彼だった。※写真は本人のFacebookより提供

 1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

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 打撃系格闘技のイベントであるK-1にとって、キックボクシングや空手とともに欠かせないのが、ムエタイだ。

 500年の歴史を持つと言われるタイの国技。首相撲で相手を崩してのヒザ蹴り、ヒジ打ちといった技術は独特で、賭けの対象にもなるシビアな闘いで生き残った選手たちは肉体的にも精神的にも相当にタフだ。おまけに選手層も厚い。

 ムエタイのトップ選手を、海外の選手たちが倒すのは至難の業と言っていい。だからこそ“打倒・ムエタイ”には価値があった。

 1993年に行なわれた第1回のK-1 GPにもムエタイの選手が出場していた。さまざまなジャンルから猛者が参戦して「最強」を競うというのが団体のコンセプト。ゆえにムエタイは必要不可欠だった。

 栄えある出場者は、チャンプア・ゲッソンリット(タイ)。彼は日本で最も活躍したムエタイファイターの1人と言っていい。
 
 本来は中量級の体格だったチャンプア。だが、タイではそれでも大型だった。オランダなど外国の選手も難なく迎え撃った。1989年には、UWF東京ドーム大会に出場し、安生洋二と異種格闘技戦を実施。ドロー決着となったが、その恐れ知らずの闘争スタイルによって、我々は彼の存在を知った。

 K-1の第1回大会では、優勝したブランコ・シカティックと初戦でぶつかりKO負け。体格差を考えれば仕方のない結果。しかし、逆に言えば、“王者”となる実力者との体格差をものともせず、アグレッシブに闘い抜く姿がチャンプアの魅力だった。

 同じ93年に開催されたK-2 GPにも参戦した。リミットは80kg。それでもチャンプアには重かったが、彼は見事に決勝進出。ファイナルでは10kgもの差があったと言われるアーネスト・ホースト(オランダ)の猛攻に耐えるも、4回にハイキックを被弾。壮絶なKO負けを喫したが、印象深い激闘のひとつだ。

 キャリア後半は敗戦も多かった。だが、97年の角田信朗戦など、ここぞというところで実力を見せている。93年には『カラテ・ワールドカップ』にエントリー。空手ルールでアンディ・フグ(スイス)とも闘ってみせた。

 武器は左手ミドルキック。誰が相手でも蹴りまくり、時に倒され、しかし勝っても負けてもその勇猛果敢なファイトは見る者の心を掴んだ。

 K-1におけるタイ人の系譜は、K-1 MAXのブアカーオ、新生K-1のゲーオと続いていった。無論、ムエタイとK-1はルールが異なる。それでも「何かやってくれるんじゃないか」という“ムエタイ幻想”は薄れていない。その元祖が、チャンプアの闘いにあった。

文●橋本宗洋

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