1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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ヒクソン・グレイシー(ブラジル)であり、またエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)だったりと、時代には、必ずと言っていいほど“強さの象徴”とされたファイターがいる。彼らより前の時代で言えば、モーリス・スミス(アメリカ)はその1人だった。
スミスが全盛を極めた1980年代後半から90年代前半だ。WKA世界ヘビー級チャンピオンとして君臨した彼は、実に8年間も無敗を維持。ヘビー級らしい倒す力はもちろん、テクニックに加えて、試合運びも巧妙だった。
日本でその名が広く知られるようになったのは、UWFの東京ドーム大会がきっかけだった。1989年11月だ。当時、新鋭の鈴木みのるとの異種格闘技戦でKO勝ちを収めると、瞬く間に声価を高め、全日本キックボクシング連盟でも活躍。91年5月のピーター・スミット(オランダ)戦では右アッパーカットでKO勝利を飾って話題を呼んだ。また、プロに進出し、「日本のエース」と称された佐竹雅昭の“壁”になったのも、他ならぬスミスであった。
その強さゆえ、敗戦自体がニュースにもなった。1992年に8年ぶりの黒星を与えたのはピーター・アーツ(オランダ)。後にK-1 GPを3度制す、オランダの天才が日本で知られるようになったのは、“スミスに勝った男”としてだった。それほど彼の敗北はショッキングなものとして世間に広まった。
そして93年に実施された第1回K-1 GPにスミスは参戦。キックボクシングの“顔”として、当然の選出だった。しかし、ここでアーネスト・ホースト(オランダ)のハイキックにより衝撃的なKO負け。その後、スター街道を邁進したホーストに対し、スミスの全盛期はK-1のスタートとともに終わったという印象がある。皮肉としか言いようがない。
ただ、たとえ“立ち技最強”の存在ではなくなっても、スミスは果敢なファイター人生を歩んだ。
キックボクシングの世界では強豪との対戦を続け、船木誠勝や鈴木みのると再戦。さらに本格的にグラウンドを学び、総合格闘技に本格的な挑戦を果たすと、1997年にはUFCで世界ヘビー級のタイトルも獲得する。この時のタイトルマッチで破った相手は「グラウンドとパウンドのゴッドファーザー」の異名で知られた名手マーク・コールマン(アメリカ)だった。
K-1だけでの活躍ぶりで振り返れば、彼以上の存在はたくさんいる。しかし、キャリア全体を通してハイレベル、かつ幅広い活躍を見せたという意味では、モーリス・スミスは格闘技史上に残る名選手だったのは間違いない。立ち技と総合の架け橋になる存在であり、プロレスファンにも知られる名手。強さだけでなく、時代の象徴だったと言って過言ではないはずだ。
文●橋本宗洋
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ヒクソン・グレイシー(ブラジル)であり、またエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)だったりと、時代には、必ずと言っていいほど“強さの象徴”とされたファイターがいる。彼らより前の時代で言えば、モーリス・スミス(アメリカ)はその1人だった。
スミスが全盛を極めた1980年代後半から90年代前半だ。WKA世界ヘビー級チャンピオンとして君臨した彼は、実に8年間も無敗を維持。ヘビー級らしい倒す力はもちろん、テクニックに加えて、試合運びも巧妙だった。
日本でその名が広く知られるようになったのは、UWFの東京ドーム大会がきっかけだった。1989年11月だ。当時、新鋭の鈴木みのるとの異種格闘技戦でKO勝ちを収めると、瞬く間に声価を高め、全日本キックボクシング連盟でも活躍。91年5月のピーター・スミット(オランダ)戦では右アッパーカットでKO勝利を飾って話題を呼んだ。また、プロに進出し、「日本のエース」と称された佐竹雅昭の“壁”になったのも、他ならぬスミスであった。
その強さゆえ、敗戦自体がニュースにもなった。1992年に8年ぶりの黒星を与えたのはピーター・アーツ(オランダ)。後にK-1 GPを3度制す、オランダの天才が日本で知られるようになったのは、“スミスに勝った男”としてだった。それほど彼の敗北はショッキングなものとして世間に広まった。
そして93年に実施された第1回K-1 GPにスミスは参戦。キックボクシングの“顔”として、当然の選出だった。しかし、ここでアーネスト・ホースト(オランダ)のハイキックにより衝撃的なKO負け。その後、スター街道を邁進したホーストに対し、スミスの全盛期はK-1のスタートとともに終わったという印象がある。皮肉としか言いようがない。
ただ、たとえ“立ち技最強”の存在ではなくなっても、スミスは果敢なファイター人生を歩んだ。
キックボクシングの世界では強豪との対戦を続け、船木誠勝や鈴木みのると再戦。さらに本格的にグラウンドを学び、総合格闘技に本格的な挑戦を果たすと、1997年にはUFCで世界ヘビー級のタイトルも獲得する。この時のタイトルマッチで破った相手は「グラウンドとパウンドのゴッドファーザー」の異名で知られた名手マーク・コールマン(アメリカ)だった。
K-1だけでの活躍ぶりで振り返れば、彼以上の存在はたくさんいる。しかし、キャリア全体を通してハイレベル、かつ幅広い活躍を見せたという意味では、モーリス・スミスは格闘技史上に残る名選手だったのは間違いない。立ち技と総合の架け橋になる存在であり、プロレスファンにも知られる名手。強さだけでなく、時代の象徴だったと言って過言ではないはずだ。
文●橋本宗洋
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