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上野由岐子は実は“剛速球投手”ではなかった!? 五輪決勝で見せた「上野ボール」に隠されたもう一つの顔

矢崎良一

2021.09.11

アメリカの主砲として君臨したブストス。彼女もまた上野のピッチングに小さくない影響を与えたライバルだった。(C)Getty Images

アメリカの主砲として君臨したブストス。彼女もまた上野のピッチングに小さくない影響を与えたライバルだった。(C)Getty Images

 この上野のピッチングの変化であり進化は、ソフトボール界の情勢の変化による影響もあるようだ。

 日本が銀メダルを獲得し女子ソフトボールが国内で脚光を浴びるきっかけになった2000年のシドニー五輪。この翌年に上野は高校を卒業し、日立高崎(現・ビックカメラ高崎)に入団。日本代表としてのキャリアも、そこからスタートさせている。

 当時、マウンドからホームまでの距離は40フィート(12.19メートル)だった。この距離だと、100キロのストレートは、打席での体感速度が160キロを超える。打者は対応が難しく、好投手同士の投げ合いになれば、なかなか得点が入らない。とくに国際試合では、7回で決着が付かず、0-0のまま延々と延長戦が続くこともよくあった。

 それがシドニー五輪後の2002年、ドラスティックなルール改正によって一変する。

 極端な投手優位の状況を変え、得点が入り、見る人が試合展開を楽しめるようにするために、ホームまでの距離を43フィート(13.11メートル)に延長。その分、外野フェンスまでの距離が200フィート(60.96メートル)から220フィート(67.06メートル)に広がった。

 投手にとっては酷なルール改正であったのは言うまでもない。単純に言えば、約1メートル、ボールを見られる時間が増えたため、これまで空振りを取れていたストレートがファウルになり、変化球はコースを見極められやすくなる。

 このルール改正により、大きなダメージを受けたといわれるのが、当時、日本代表の主力として活躍していた増淵まり子、高山樹里といった投手陣だ。
 
 彼女たちはストレートの球速では上野に劣るが、ライズボールを駆使した縦の変化を主武器にしていた。この生命線となるボールが威力を失ってしまうと、投球の組み立てが難しくなってくる。ただ、問題は投球距離以外のところにもあった。増淵(現・淑徳大学監督)は、「私の場合は、距離よりも、ボールが変わったことの影響が大きかった」と言う。

 このときのルール改正では、投球距離の延長と同時に、公式戦での使用球が、それまでの白いゴムのボールから、黄色い皮ボールに移行している。硬さも縫い目の触感もかなり違う。ライズボールは指先の感覚が重要となる変化球のため、微妙なコントロールを取り戻すのに苦労があったようだ。

 その点、肘の操作で投げるドロップやチェンジアップは、落とす角度を調整しやすい。上野もライズは投げていたが、当時はむしろチェンジアップの制球に優れ、スピードボールとの緩急を使って打者を打ち取っていた。それゆえ、距離延長やボール変更の影響は比較的少なかったのかもしれない。

 また、もうひとつ見逃せないのが、バットの性能の向上だ。ソフトボールは金属バットを使用するが、メーカーの研究開発により、どんどん反発係数が向上。飛躍的に打球が飛ぶようになっていった。

 その影響を強く感じさせたのが、2008年の北京五輪。アメリカの4番に座ったクリストル・ブストスという巨漢のスラッガーだ。ブストスは同大会で6本塁打(五輪タイ記録)。日本との決勝戦でも、球威の面では全盛期にあった上野から、外角球を拾ってスタンドに運ぶホームランを打っている。

 上野の力をもってしても、このクラスの打者にしっかりミートされてしまえば、そうなってしまう。こうしたいくつかの要素が重なり、年々打者優位の図式が進んだ。そのなかで、上野は世界との戦いを強いられてきた。

 そのための武器が“変化球”だった。
 
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