東京五輪で13年越しの金メダル獲得の興奮がいまだ醒めやらぬ中、9月4日、日本リーグの後期シーズンが開幕する女子ソフトボール。いまや世界に誇るレジェンドとなったエース上野由岐子の若き日を取材してきた記者が、不死鳥エースの実像を書き記した――
―――◇―――◇―――
上野由岐子はいつも、自分の心の奥にある“本気”のスイッチを押す方法を探している。
そんな面白くも、難解な彼女の性格を初めて垣間見たのは、現在まで236勝という前人未踏の勝ち星を積み重ねてきた日本リーグで、記念すべき1勝目を挙げた試合だった。
2001年4月28日、長野県営伊那野球場で開催されたシーズン開幕戦。前年のシドニー五輪銀メダルによる一過性のブームと、大型連休初日という日柄の良さが重なり、会場は駆けつけたファンの熱気に包まれていた。日立高崎(現・ビックカメラ高崎)を率いる宇津木妙子監督は、そんな注目の舞台に、大胆にも噂の大物ルーキーを先発起用する。
宇津木監督に「よし、行ってこい!」とベンチから送り出されて、マウンドに向かった上野。この時に浮かべた少し硬い表情は緊張の表れかと思いきや、じつはまったく違うメンタリティーだったのだと、私は後に知らされることになる。
上野はおよそルーキーとは思えない力強い投球を見せた。試合序盤、一人の走者も出さずに相手打線を抑え込んでいく。中盤に初ヒットを許したが、表情を変えずに淡々と投げ続け、自らのデビュー戦を初勝利で飾った。この時点で、すでに彼女のボールは、日本リーグのレギュラー選手の打力を凌駕していた。
大記録が生まれる試合には独特の空気があるものだ。「あと何人」というカウントダウンが始まるよりも前の段階で記録は途絶えてしまったが、この試合にはそれがあった。
試合後、「(完全試合)行くかと思ったよ」と声を掛けると、上野はニンマリと笑いながら「いやー、ひそかに狙ってたんですけどね」と言った。その表情は「悔しい」というよりも、「失敗しちゃったな」と舌打ちするような小笑い。そこにあったのは、18歳の怪物少女の恐るべき素顔だった。上野は“本気”だったのだ。
当時、入団間もない頃の上野に、話を聞く機会があった。
小学校時代から快速球投手として注目を集めた上野は、九州女子高校(現・福岡大附属若葉高校)2年生の時、『世界女子ジュニア選手権』(20歳以下の世界大会)に高校生で唯一代表入り。チームを優勝に導く活躍を見せた。おのずと学校の友人や同世代の選手たちからは、「上野は特別」と言われるようになっていく。
確かに特別ではある。それは間違いない。ソフトボールの実力だけでなく、器用さと抜群の運動能力の高さから、何をやらせても高いレベルでこなしてしまう。ただ、上野の中では何事もステップを踏んで、努力して出来るようになっているものという意識がある。それを「上野だから」と纏められてしまうのには、もどかしさがあった。
「『こんなことが出来るんだ』じゃなくて、『さすが』とか『やっぱり上野だから』という反応。そりゃーもちろん嬉しいんですけどね。あぁー、そうなっちゃうのねって複雑な気持ちでした」
それだけに自分の影響力の強さも自覚していた。感情のままの言動や行動で何かを発信すれば、そこにハレーションが生まれる。次第に周囲との調和に気を使うようになり、“本気”を押し隠すようになっていった。
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上野由岐子はいつも、自分の心の奥にある“本気”のスイッチを押す方法を探している。
そんな面白くも、難解な彼女の性格を初めて垣間見たのは、現在まで236勝という前人未踏の勝ち星を積み重ねてきた日本リーグで、記念すべき1勝目を挙げた試合だった。
2001年4月28日、長野県営伊那野球場で開催されたシーズン開幕戦。前年のシドニー五輪銀メダルによる一過性のブームと、大型連休初日という日柄の良さが重なり、会場は駆けつけたファンの熱気に包まれていた。日立高崎(現・ビックカメラ高崎)を率いる宇津木妙子監督は、そんな注目の舞台に、大胆にも噂の大物ルーキーを先発起用する。
宇津木監督に「よし、行ってこい!」とベンチから送り出されて、マウンドに向かった上野。この時に浮かべた少し硬い表情は緊張の表れかと思いきや、じつはまったく違うメンタリティーだったのだと、私は後に知らされることになる。
上野はおよそルーキーとは思えない力強い投球を見せた。試合序盤、一人の走者も出さずに相手打線を抑え込んでいく。中盤に初ヒットを許したが、表情を変えずに淡々と投げ続け、自らのデビュー戦を初勝利で飾った。この時点で、すでに彼女のボールは、日本リーグのレギュラー選手の打力を凌駕していた。
大記録が生まれる試合には独特の空気があるものだ。「あと何人」というカウントダウンが始まるよりも前の段階で記録は途絶えてしまったが、この試合にはそれがあった。
試合後、「(完全試合)行くかと思ったよ」と声を掛けると、上野はニンマリと笑いながら「いやー、ひそかに狙ってたんですけどね」と言った。その表情は「悔しい」というよりも、「失敗しちゃったな」と舌打ちするような小笑い。そこにあったのは、18歳の怪物少女の恐るべき素顔だった。上野は“本気”だったのだ。
当時、入団間もない頃の上野に、話を聞く機会があった。
小学校時代から快速球投手として注目を集めた上野は、九州女子高校(現・福岡大附属若葉高校)2年生の時、『世界女子ジュニア選手権』(20歳以下の世界大会)に高校生で唯一代表入り。チームを優勝に導く活躍を見せた。おのずと学校の友人や同世代の選手たちからは、「上野は特別」と言われるようになっていく。
確かに特別ではある。それは間違いない。ソフトボールの実力だけでなく、器用さと抜群の運動能力の高さから、何をやらせても高いレベルでこなしてしまう。ただ、上野の中では何事もステップを踏んで、努力して出来るようになっているものという意識がある。それを「上野だから」と纏められてしまうのには、もどかしさがあった。
「『こんなことが出来るんだ』じゃなくて、『さすが』とか『やっぱり上野だから』という反応。そりゃーもちろん嬉しいんですけどね。あぁー、そうなっちゃうのねって複雑な気持ちでした」
それだけに自分の影響力の強さも自覚していた。感情のままの言動や行動で何かを発信すれば、そこにハレーションが生まれる。次第に周囲との調和に気を使うようになり、“本気”を押し隠すようになっていった。