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「そこらの打者には打たれっこない」上野由岐子が東京五輪で見せつけた20年越しの“本気”

矢崎良一

2021.09.04

「上野の413球」と称えられた北京五輪。その後にソフトボールが五輪種目から除外され、上野は目標を失いながらプレーを続けていた。(C)Getty Images

「上野の413球」と称えられた北京五輪。その後にソフトボールが五輪種目から除外され、上野は目標を失いながらプレーを続けていた。(C)Getty Images

 アテネ五輪後、まだ二十代前半ながら「日本のエース」と呼ばれる立場になった。もはや日本リーグでは敵なしの突出した存在であり、04年、05年に1度ずつと、06年には2度の完全試合。07年には日本人史上初の1000奪三振も達成している。もっとも、そうした記録に本人はあまり関心がなくなっていた。

 当時のソフトボール界の世界情勢は、日本とアメリカの2強時代。「五輪での金メダル=打倒アメリカ」と言えるほど、世界一を目指す日本の前に、常に立ち塞がってきたのがアメリカだった。この宿敵の強力打線をどう抑えるかが、上野にとっても大きなテーマだった。

 現役時代に日本代表で上野と一緒にプレーした経験を持ち、現在は岩手県の高校で教員を務める藤原麻起子(元・日立ソフトウェア)からは、こんな話を聞いたことがある。

「上野さんは、国内のリーグと世界大会ではピッチングをまったく変えている。間合いひとつ取っても全然違っていますから」

 間合いが変わるということは、それだけ打者と駆け引きをしているという証だ。打者を観察し、打ち取るための組み立てを常に考えて投げているのだ。

 国内の試合ではストレート主体でポンポンと投げ込み、それで打たれることがあっても、ピンチになったらギアを上げれば失点までには至らない。だから、不用意な一球を痛打されることはあっても、連打で「打ち崩される」場面はほとんどなかった。スイッチが入るのは、パワーのある外国人選手か代表クラスの強打者くらい。本人も「本気で投げたらそこらの打者には打たれっこない、って思ってますから」とはっきり口にしている。
 
 シーズン最後の優勝決定戦でもなければ、目先の試合の勝利にこだわりもない。極論すれば、それはオリンピックに向けてのテストの場でしかなかった。「こういうボールを投げたら打つんだな」と、打たれた後にマウンドで頷くシーンもよくあった。すべては「本番」である北京五輪からの逆算だった。

 そして、迎えた北京五輪での「上野の413球」と呼ばれる快投。決勝トーナメント2日間3試合を一人で投げ抜き、宿敵・アメリカを撃破。金メダルを獲得する。

「最後は何があっても自分が全部投げるものだと思っていた。逆に自分じゃなかったら納得できなかった」

 上野はそう言う。圧倒的な力で相手をねじ伏せるだけでなく、先に点を取られても味方の反撃を信じて粘り強く投げ続ける。ピンチの場面ではプライドを捨てて敬遠策を取っても失点を防ぐ。しゃにむに勝ちに行く、今までとは違う“本気”の姿だった。

 この大会を最後に、ソフトボールは五輪種目から除外される。

 金メダルの直後には、逃げ出したいほど殺到していた取材は次第に減っていき、日本リーグの会場からは年々熱気が失われていった。目標を失った中でのプレー。「正直、いつ引退してもいいと思っているんです。でも、やめる理由がなないから続けています」と真顔で言うこともあった。
 
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