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バレーボール

彗星のごとく現れた日本バレー界のニュースター。高橋藍が熱血指導者と出会い、才能を開花させるまで【東京五輪】

北野正樹

2021.07.24

恩師の千代祐介先生と塁(右)、藍兄弟(2020年12月25日)。写真:千代さん提供)

恩師の千代祐介先生と塁(右)、藍兄弟(2020年12月25日)。写真:千代さん提供)

 簡単にいえば、無駄な動きがなく、守備から攻撃への切り返しが速いというわけだ。

「外国人相手には上にボールを上げることが第一で、そのための構えや目線のほか、こういう手の出し方なら(ボールに)負けにくいよ」など、自身の国際大会での経験をもとにアドバイスすると、「すぐに練習で取り入れるし、理解すること、吸収力が早い選手」という。

 今、山本が藍の成長を感じるのが、イタリアで行なわれていたネーションズリーグ(VNL)での、センターの動きだ。

「例えば、(セッターの)関田(誠大=堺)と小野寺(太志=JT)がブロックに跳んでバックセンターに藍が入っていた場合、相手スパイカーは、ブロックの背の低い方を狙ってくる。だからと言ってそこに早く入ると、小野寺の右手や左手にボールが当たった場合、飛んでいく方向が違う。藍は、ボールが右に飛んでいこうが、左に飛んでいこうが、関田の上から打たれようと、反応出来るところにちゃんとポジショニングを取っている」
 
「当たってからの一歩が出ているだけでなく、一歩だけで終わらず2歩、3歩、4歩、5歩と最後までボールを追いかけられるようになっている。日体大でも練習してきたことだが、上から打ってくる外国人選手に慣れ、見え方が変わって来て、こうすればもっと動けるんだ、と体が覚えて逆モーションでもちゃんと対応できるようになった」と、山本は対応力の高さに驚く。

 兄・塁の練習についていくうちに、「やってみたら」という両親の勧めもあり小学2年でバレーを始めた藍。アタッカーとしてプレーしていた小学4年で、人生を変える出来事があった。2013年9月7日にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、2020年の五輪開催地が東京に決まり、卒業文集に「東京五輪に出場する」と書き込んだ。

 明確な思いがあったわけではなかったが、「バレーをやっていたので、一番の目標はそこだなと。まだまだ遠い先だったので、実感はなかったが、そこを目標にして、ずっと言葉に出し続けようと思っていた」と藍は振り返る。
 

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