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NBA

選手とコーチ両方で実績を残したスコット。勝率は下から2番目だが決して「凡庸なHC」ではない【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.12.18

左がスコット、中央がマジック。ともに“ショータイム・レイカーズ”のメンバーとして活躍し、3度の優勝を成し遂げた。(C)Getty Images

左がスコット、中央がマジック。ともに“ショータイム・レイカーズ”のメンバーとして活躍し、3度の優勝を成し遂げた。(C)Getty Images

■“一流”の手前に留まっていたペイサーズに最高の成果を

 2年目は成功数26本ながら、成功率43.3%で3ポイントシュートのタイトルを獲得したスコット。今では信じられないほど少ない本数だが、当時のNBAではまだ、3ポイントを戦略として取り入れているチームが少なかったのだ。

 いずれにせよ、スコットのロングシュートはレイカーズの重要な武器のひとつになる。87、90年にも成功率40%以上を記録すると、87-88シーズンには自己最高の平均21.7点をあげ、ジェームス・ウォージーやマジックを抑えてチーム得点王となり、さらにデトロイト・ピストンズとのファイナルでも平均18.9点でチームの連覇に貢献。スコットは紛れもなく、“ショータイム”の重要なキャストの1人だった。

 レイカーズ以外のチームにいれば、さらに個人成績は上がったのではないか、との見方もある。ウエストも「他球団なら平均25点は堅かっただろう」と請け合うが、スコットが欲していたのは個人タイトルではなく、チャンピオンリングだけだった。
 
「自分の得点がどうこうなんて、プレー中は頭の片隅にもなかった。ファンだって、僕の平均得点がいくつだなんて知らないだろうけど、優勝回数なら知っているはずだ。信じられないほど素晴らしいチームの一員でいられただけで十分に満足だよ」

 地域活動や慈善活動にも精力的に取り組み、病気の子どもたちへの寄付金を募るため、メルヴィン・フランクリン(テンプテーションズのメンバー)やケニー・Gと一緒にチャリティソングを吹き込んだこともあったスコット。そんな一面を持っていた彼は、親友マジックの引退を境にレイカーズが再建モードに突入したこともあり、93年にインディアナ・ペイサーズへ移籍する。

「ペイサーズにやって来た理由は3つ。HCがラリー・ブラウンであること、いい若手が揃っていること、そしてこのチームなら、僕の経験を伝授できると思ったからだ」

 レジー・ミラーをはじめ優秀な中堅選手を揃えながら、一流チームの手前に留まっていたペイサーズは、スコットの加入でベンチに厚みを増し、94、95年と2年連続でカンファレンス決勝に進出。ABAからNBAへの参入後では最高の成果を収めた。
 

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