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NBA

伝説の名将“コーチK”を擁し5度の全米制覇。NBAの一大勢力、デューク大の過去と現在【名門カレッジ史】

出野哲也

2019.12.23

コーチK(中央)の就任以降、チームは黄金時代に突入。91、92年はのちにNBAでも活躍するヒル(左)らを擁し連覇を成し遂げた。(C)Getty Images

コーチK(中央)の就任以降、チームは黄金時代に突入。91、92年はのちにNBAでも活躍するヒル(左)らを擁し連覇を成し遂げた。(C)Getty Images

 現役だけでも25人の出身者がプレーしており、NBAの最大勢力であるデューク大(愛称ブルーデビルズ)。学業面でも全米屈指の難関校とあって、選手たちも文武両道が多く、コート内外でトラブルを起こすような問題児は少ない。

 バスケットボール部は、校名がまだトリニティ大だった1905年に創部された(デューク大に改称したのは24年)。最初のスター選手は、52年に平均25.2点をあげてオール・アメリカンに選出されたディック・グロート。53年にデューク大出身者で2人目のNBA選手となり、ピストンズでチーム2位の平均11.9点をマークしたものの、バスケット選手としてプレーしたのはこの年だけ。以後はMLBのパイレーツなどで活躍、60年に首位打者となってMVPも受賞した。
 
 NCAAトーナメント(以下トーナメント)初出場は55年。60年代にはヘッドコーチのビック・ブーバスによる熱心な勧誘活動によって次々と逸材が入学し、63年はアート・ヘイマンの活躍で初のファイナル4進出(3位)を果たす。トーナメント最優秀選手にも選ばれたヘイマンは、ノースカロライナ大のラリー・ブラウンとは子どもの頃からライバル同士。同年のドラフト1位でニックスに指名されたが、プロ人生はNBAとABA合わせて6年と短命だった。翌64年はジェフ・マリンズが中心となって決勝まで駒を進めるも、当時全盛のUCLAに跳ね返される。得点力の高いガードだったマリンズは、ウォリアーズで69年から4年連続で平均20点以上、75年のチャンピオンチームの一員でもあった。
 
 66年もファイナル4まで進み、エースのジャック・マリンはブレッツ(現ウィザーズ)などでプレーし、72年にフリースロー成功率でリーグ1位になっている。ブーバスが69年を最後に退任してからは成績が下降したが、12年ぶりにトーナメントに出場した78年はマイク・ジミンスキー、ジーン・バンクスらの活躍で決勝まで勝ち進んだ。

 80-81シーズン、〝コーチK〞ことマイク・シャシェフスキーがHCに就任する。84年以降の36年間は、体調不良で半年しか指揮を執らなかった95年を除き、毎年トーナメントに姿を見せている名将の中の名将。自分の手法を押しつけるのではなく選手のタイプによってチーム作りをする柔軟な指導法に定評がある指揮官が、最初にその手腕を見せつけたのは86年。ネイスミス賞に選ばれたジョニー・ドーキンスや、現在は解説者として有名なジェイ・バイラスらを擁して準優勝、自身は最優秀コーチ賞を受賞した。
 

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