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NBA

“史上最高のカレッジプレーヤー”ラルフ・サンプソンを巡った空前絶後の獲得競争【NBAドラフト史|1983】

大井成義

2019.12.18

1位指名のサンプソンは、1年目は新人王、2年目にはオールスターMVPとオールNBA2ndチームに選出されるなど、スター街道を順調に歩んでいたが、ケガが彼からすべてを奪い去った。(C)Getty Images

1位指名のサンプソンは、1年目は新人王、2年目にはオールスターMVPとオールNBA2ndチームに選出されるなど、スター街道を順調に歩んでいたが、ケガが彼からすべてを奪い去った。(C)Getty Images

 ロッタリーが導入される以前のドラフトでは、コインの裏表を当てたチームが1位指名権を得る仕組みだった。参加できるのは東西の勝率ワーストチーム。そのため、試合にわざと負けて最下位を目指すタンキングが横行した。その最たる例が1982-83シーズン。怪物ラルフ・サンプソンの獲得を巡り、常軌を逸した獲得競争が繰り広げられた。

■1人のカレッジスターを巡り空前絶後の獲得競争が展開

 少々古いネタになるが、2003年6月に配信された『AP』の記事によると、同年のドラフト中継番組の視聴者数は、それまでで最も多かった1996年を上回り史上最多を記録したそうである。1996年のドラフト1位はアレン・アイバーソン、2003年はレブロン・ジェームズ。両年とも歴代屈指の当たり年であり、彼ら2人以外にも数多くの名選手を輩出している。視聴者数が飛び抜けて多かったのも当然であろう。

 個人的な印象で言えば、レブロンのドラフト時の盛り上がり方は、他の年に比べて一段も二段も上だったように思う。高校生にもかかわらず試合は全国ネットで放映され、雑誌やスポーツニュースで特集が組まれるなど、世の中全体が“レブロン狂騒曲”に沸いていた。ドラフト開催日が迫る頃には、新聞のスポーツセクションのみならず、一般のニュース面でも取り上げられていたほどだ。
 
 では、1996年以前はどうだったのだろう。大きな注目を集めたと思われるドラフト年および1位指名選手をざっと挙げると、1993年(クリス・ウェバー)、1992年(シャキール・オニール)、1987年(デイビッド・ロビンソン)、1985年(パトリック・ユーイング)、1984年(アキーム・オラジュワン)といったあたりだろうか。

 だがその直前、まだ日本にNBAやNCAAの情報がそれほど届いていない頃、カレッジ界にとてつもない選手が存在した。主要個人アウォードを3年間ほぼ独占し、総獲得数17個は歴代最多。“史上最高のカレッジプレーヤー”と謳われた、バージニア大のラルフ・サンプソンである。

 大学4年間で『スポーツイラストレイテッド』誌の表紙を飾ること実に6回。時代や競技種目を問わず、すべてのアマチュア・アスリートの中で最多回数を誇っている。レブロンの1回、マイケル・ジョーダンの2回と比べれば、その注目度の高さが窺い知れるだろう。人気の方も凄まじく、サインをもらおうとサンプソンの住む家にファンが大挙して押し掛けるため、大学3年時にはコーチ宅の地下に住んでいたという逸話があるほどだ。

 その動向に全米中が熱い視線を注ぎ、常軌を逸した獲得競争が繰り広げられたカレッジ界のスーパースター。今回は、レブロンの2003年にも匹敵したであろう、サンプソン一色に染まった1983年のドラフトを紹介しよう。
 

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