2010年代に終わりを告げ、これからNBAは新たなディケイド(10年)に突入する。その前に、73年の長い歴史を誇るリーグの歩みを、今一度時代ごとに振り返っておくべきではないだろうか。
1990年代はマイケル・ジョーダン率いるブルズの時代だった。彼らはこの10年間で6度チャンピオンに輝くなど、絶対王者として君臨。また92年のドリームチームの誕生は、後のリーグのグローバル化へ繋がることになった。
■同世代のライバルを打ち破り頂点に君臨し続けたジョーダン
“マイケル・ジョーダンの時代”――。1990年代のNBAを語るとき、そうシンプルに述べてしまっても良いだろう。
知将フィル・ジャクソンに率いられ、ジョーダン、スコッティ・ピッペンがキャリアのピークを迎えていたシカゴ・ブルズは、91年のプレーオフで4度目の挑戦にしてついに“バッドボーイズ”と呼ばれた王者デトロイト・ピストンズを撃破。その余勢を駆って、ファイナルではマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で下して初優勝を遂げる。
ここで大きな壁を破ると、翌年にはポートランド・トレイルブレイザーズ、93年にはチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズを下し、3連覇を達成して一時代を築いた。そのブルズの象徴的な存在で、最高の選手として君臨したのがジョーダンだった。
84年にブルズに入団し、3年目に平均37.1点をあげて得点王を獲得。若くしてリーグを代表する選手となったが、この頃は驚異の個人成績をマークしても、チームを頂点に導くことはできなかった。そんな孤高のアスリートが、ジャクソン、ピッペン、その他の頼れるサポーティングキャストの力を借りて、〝最高のバスケットボールプレーヤー〞に昇華していったのがこの90年代だった。
新時代の幕開けとして象徴的だったのは、レイカーズと対戦した91年のファイナルだろう。ジョーダンは5試合で平均31.2点、11.4アシストと大活躍。さらにピッペンもマジックに対する激しいディフェンスで存在感を発揮し、ブルズの完勝につなげた。
1990年代はマイケル・ジョーダン率いるブルズの時代だった。彼らはこの10年間で6度チャンピオンに輝くなど、絶対王者として君臨。また92年のドリームチームの誕生は、後のリーグのグローバル化へ繋がることになった。
■同世代のライバルを打ち破り頂点に君臨し続けたジョーダン
“マイケル・ジョーダンの時代”――。1990年代のNBAを語るとき、そうシンプルに述べてしまっても良いだろう。
知将フィル・ジャクソンに率いられ、ジョーダン、スコッティ・ピッペンがキャリアのピークを迎えていたシカゴ・ブルズは、91年のプレーオフで4度目の挑戦にしてついに“バッドボーイズ”と呼ばれた王者デトロイト・ピストンズを撃破。その余勢を駆って、ファイナルではマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で下して初優勝を遂げる。
ここで大きな壁を破ると、翌年にはポートランド・トレイルブレイザーズ、93年にはチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズを下し、3連覇を達成して一時代を築いた。そのブルズの象徴的な存在で、最高の選手として君臨したのがジョーダンだった。
84年にブルズに入団し、3年目に平均37.1点をあげて得点王を獲得。若くしてリーグを代表する選手となったが、この頃は驚異の個人成績をマークしても、チームを頂点に導くことはできなかった。そんな孤高のアスリートが、ジャクソン、ピッペン、その他の頼れるサポーティングキャストの力を借りて、〝最高のバスケットボールプレーヤー〞に昇華していったのがこの90年代だった。
新時代の幕開けとして象徴的だったのは、レイカーズと対戦した91年のファイナルだろう。ジョーダンは5試合で平均31.2点、11.4アシストと大活躍。さらにピッペンもマジックに対する激しいディフェンスで存在感を発揮し、ブルズの完勝につなげた。
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