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「彼なしで3度の優勝はあり得ない」「ビル・ラッセルを思い出す」レジェンドも絶賛したパリッシュの記録と記憶に残るキャリア【NBA名脇役列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2024.10.16

NBA史上最多出場試合数を誇るなど、パリッシュは息の長いキャリアを送った。(C)Getty Images

NBA史上最多出場試合数を誇るなど、パリッシュは息の長いキャリアを送った。(C)Getty Images

■ストイックで寡黙な男が一度だけ我を失ったのは――

 1980年にウォリアーズはパリッシュとドラフト3位指名権をセットにし、1位と13位の指名権との交換でセルティックスへ放出。この時、3位でセルティックスが指名したのがマクヘイルだった。つまりセルティックスのレッド・アワーバックGM(ゼネラルマネージャー)は、史上最強のフロントラインのうち2人を一度に手に入れたわけだ。

 ビル・フィッチHC(ヘッドコーチ)の妥協を許さぬ厳しい指導に反発を覚えながらも、トレーニングに全力で取り組むようになったパリッシュは、その才能をフルに開花させる。

「もし私がボールを長く持つタイプだったら、上手くいかなかっただろう」と語ったように、彼の利他的なプレースタイルはセルティックスの組織的なバスケットにフィットした。とりわけバードとのコンビによるピック&ロールは、わかっていても止められない効果的な武器となった。
 
 1981年のファイナルでは、当時リーグ最強のセンターだったマローンをフィールドゴール成功率40.3%に抑え込み、ヒューストン・ロケッツを撃破。その後も1984年にロサンゼルス・レイカーズ、1986年には再びロケッツを下して3度の優勝を経験する。

「ロバートなしで、我々が3回も王座に就くことはあり得なかった」とバードが断言すれば、フィッチに代わって1983年からチームを率いていたKC・ジョーンズも「パリッシュはこのチームの背骨だ。彼を見ているとビル・ラッセルを思い出す。勝利のために全力を尽くす姿勢や、強烈なプライドの持ち主である点がよく似ているからね」と、かつてのチームメイトだった伝説のセンターの名前を挙げて絶賛した。

 ニックネームの“チーフ”は、チームメイトのセドリック・マックスウェルが命名したもの。映画『カッコーの巣の上で』で、ジャック・ニコルソン演じるネイティブ・アメリカンの族長(チーフ)に似ているという理由からだった。強い意志を秘めた、ストイックで寡黙なそのキャラクターは、パリッシュのイメージそのものだった。
 
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