かつて、ゴールデンタイムで毎日、プロ野球が放映されていた時代があった。そして、その大半は巨人戦だった。「江川」、「原」、「中畑」、「篠塚」……といった名前は、とりたてて野球が好きでもない人にも名字だけで通じるほどネームバリューがあった。
そんな時代に、とりわけ個性を放っていたのがウォーレン・クロマティだった。独特のクラウチング・スタイル(当時、あの打撃フォームを真似しなかった野球少年がいただろうか?)やユニークな歌詞(「楽をしてもクロウ、クロウ、苦労してもクロウ、クロウ」)が耳に残る応援歌、チューインガムをふくらませたり、客席に向かってバンザイするなどのパフォーマンス……。「紳士の球団」にはちょっとミスマッチの親しみやすさからか、アンチ巨人からも人気を集めていた彼は、プロ野球がお茶の間の主役だった最後の時代のヒーローだった。
今年は臨時打撃コーチとして古巣のリーグ優勝に貢献したクロマティ氏が、日本時代の思い出を振り返ってくれた。
――あなたは日本でとても大きな人気を集めていましたが、実はメジャーリーグでも素晴らしい実績を残しています。
その通り。俺は日本に来る前から有名だったんだ。 ――メジャー時代の成績を見ると、1977~80年にかけて4年連続で安打数ナ・リーグトップ10に入っています。これはなかなか凄いことですよね?
そうだね。安定性の高さについては、自分でもプライドを持っていた。ピート・ローズが憧れだったから、二塁打にこわだっていた。シーズン46本打った年もあった(※79年、リーグ2位)。あのクラウチング・スタイルもローズの影響なんだ。
――日本に来る前のあなたはラインドライブ・ヒッターだったわけですね?
そう。俺はずっとライトからレフトまで全方向にライナーを飛ばすタイプの打者だった。年を取ってからパワーもついてきたけどね。強調しておきたいのは、毎日プレーしたことだ。ある年には全162試合に出場したこともあった(※80年)。そのことについても、すごく誇りに思っているんだ。
そんな時代に、とりわけ個性を放っていたのがウォーレン・クロマティだった。独特のクラウチング・スタイル(当時、あの打撃フォームを真似しなかった野球少年がいただろうか?)やユニークな歌詞(「楽をしてもクロウ、クロウ、苦労してもクロウ、クロウ」)が耳に残る応援歌、チューインガムをふくらませたり、客席に向かってバンザイするなどのパフォーマンス……。「紳士の球団」にはちょっとミスマッチの親しみやすさからか、アンチ巨人からも人気を集めていた彼は、プロ野球がお茶の間の主役だった最後の時代のヒーローだった。
今年は臨時打撃コーチとして古巣のリーグ優勝に貢献したクロマティ氏が、日本時代の思い出を振り返ってくれた。
――あなたは日本でとても大きな人気を集めていましたが、実はメジャーリーグでも素晴らしい実績を残しています。
その通り。俺は日本に来る前から有名だったんだ。 ――メジャー時代の成績を見ると、1977~80年にかけて4年連続で安打数ナ・リーグトップ10に入っています。これはなかなか凄いことですよね?
そうだね。安定性の高さについては、自分でもプライドを持っていた。ピート・ローズが憧れだったから、二塁打にこわだっていた。シーズン46本打った年もあった(※79年、リーグ2位)。あのクラウチング・スタイルもローズの影響なんだ。
――日本に来る前のあなたはラインドライブ・ヒッターだったわけですね?
そう。俺はずっとライトからレフトまで全方向にライナーを飛ばすタイプの打者だった。年を取ってからパワーもついてきたけどね。強調しておきたいのは、毎日プレーしたことだ。ある年には全162試合に出場したこともあった(※80年)。そのことについても、すごく誇りに思っているんだ。