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プロ野球

王さんが監督じゃなかったら俺は成功できなかった――クロマティが振り返る日本での7年間【インタビュー】

2019.11.29

――日本での最大のカルチャーショックは何でしたか?

 引き分けかな。ある時、甲子園で試合をしていて、夜の9時45分だったかな、俺がダグアウトに戻ると、チームメイトがみんな用具を持ってロッカールームに行こうとしているから「みんな、何やってるんだ!?」と言ったら、「もう新しいイニングには入らないんだよ」「待て、どういうことだ? 野球に引き分けなんかあるわけないだろ」「ノーノー。日本では終電があるから……」という感じでね。最初は少し腹が立った。だって、勝つためにプレーしているわけで、引き分けのためにプレーするんじゃないからさ。

――ご存じのように、巨人は日本で最も人気のあるチームです。人気球団ならではの苦労もあったのではないかと思うのですが……。

 そんなことない。ファンサービスも楽しんだよ。サインをしたり、写真を撮ったりね。ファンとの結びつきがあったからこそ、これだけ長くプレーできたんじゃないかと思う。ファンといい関係を築けるということも、俺の長所だったんじゃないかな。
――来日1年目の84年、いきなりホームランを35本も打ちました。

 1年目? ホントニ?

――しかし、エクスポズでプレーした83年は360打数で3本。何が変わったのでしょうか?

 日本の球場は小さかったでしょ? 神宮、ナゴヤ、広島……。アメリカでは二塁打か三塁打の当たりが日本ではホームランになったんだ。別にスウィングを変えたわけじゃない。唯一、微調整したのは日本では変化球が多いということ。だから、俺は「アタマハンタイ」、つまりメジャー時代とは逆に考えた。メジャーでは速球を狙って変化球に対応していたけど、日本では変化球を待って速球に対応したんだ。

――ここで、チームメイトの関係について話してもらえますか? チームに合流して最初に話しかけてきたのが篠塚(利夫/現和則)さんだったと聞きましたが?

 彼はナンバーワンの親友だよ。いつも電話で連絡を取り合っている。俺が日本に来た時には必ず一緒に食事に行って話をする。彼が最初に話しかけてきてくれたからだ。彼はこう言ったよ。「マイ・ネーム・イズ・シノヅカ。シノ。OK?」。そのおかげで俺は少しリラックスできたんだ。初めてチームメイトに会って、俺はいい印象を与えようとして少しナーバスになっていたからね。

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