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プロ野球

王さんが監督じゃなかったら俺は成功できなかった――クロマティが振り返る日本での7年間【インタビュー】

2019.11.29

――中畑(清)さんはどうですか?

 キヨシか? みんなひょうきんな彼が印象に残っているようだけど、俺が覚えているのはとても真面目でキャプテンらしい姿だ。もちろん、チームのムードを盛り上げるのも好きだったね。移動のバスでは毎日、演歌を歌っていたよ。

――原(辰徳)さん、今は監督ですが、現役当時はチームで一番注目を浴びていた選手で、周囲のプレッシャーも凄かったですよね。

 今は監督としてプレッシャーを受けているけどね。当時、メディアは俺と彼が対立しているという構図を作りたがっていた。だけど、俺たちは笑い飛ばしていたよ。俺が原さんを助けることもあったし、彼が俺を助けてくれることもあった。だからこそ、今も俺を特別コーチとして呼んでくれるんだ。

――現役当時、あなたが原さんに「もっとリラックスしよう」とアドバイスを送ったそうですね?
 ある試合で、原さんはプレッシャーのせいで全然打てなくなっていた。いつもは俺が3番、彼が4番だったのに、その試合は原さんが3番、俺が4番になった。原さんの表情にもプレッシャーがにじみ出ていた。だから俺はタイムをかけて「原さん、こっちへ来いよ」と言ったんだ。試合中にね。原さんが「何?」と言うから、俺は「ハラサン、ボクサー買った?」と聞いた。

 というのも、俺たちは犬好きで、俺はシェパード、彼はボクサー犬がお気に入りだった。だから、俺は彼をリラックスさせるためにわざと聞いてみたんだ。原さんは驚いてたけど、「ああ、買ったよ」と言った。俺は「それは良かった。いい買い物だ」と言って、彼を打席に送り出したんだ。そうしたら原さんはヒットを打ったんだよ。

――あなたが日本でプレーした時代は、他にも素晴らしい選手がたくさんいましたね。

 どのチームにもスーパースターがいた。80年代は黄金時代だったよ。山本浩二(広島)に衣笠(祥雄/広島)、西武の秋山(幸二)、石毛(宏典)。ロッテの村田サン(兆治)、落合(博光)。ホエールズ(現DeNA)にも遠藤(一彦)がいた。本当にたくさんスーパースターがいた。
 

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