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大学野球

MAX150キロ超のドラ1候補左腕、細野晴希(東洋大)が向き合う“東都の修羅場”【神宮を沸かせる男たち③】

矢崎良一

2023.06.23

 高校時代、東亜学園(東京)では1年生の夏からベンチ入りし、試合でも起用されていた。「その頃は嬉しかったし、調子に乗ってました。でも自分の名前がだんだん広がっていくにつれ、常に結果を出さなきゃいけないという責任感が、プレッシャーに近かったですね」と振り返る。

 2年生の秋の都大会でベスト4に進出し注目が集まり始める。3年生になり、高校日本代表候補に選ばれた。公式戦と日程が重なったため大阪で行われた研修合宿は辞退したが、これに参加した大船渡高校の佐々木朗希(千葉ロッテ)、星稜高校の奥川恭伸(ヤクルト)、興南高校の宮城大弥(オリックス)ら、錚々たる顔ぶれが揃う黄金世代のトップランナーの一人となった。「僕の場合、伸びしろだけが取り柄でした」と茶化す細野。
 
 東洋大の元コーチで、細野の入学の年に東亜学園の監督に就任した武田朝彦は、細野を「左投手特有の変わり者」と表現する。かくいう武田監督も左利きで、「私もそうでしたから」と笑う。

「謙虚にやれと、いつも言っていました。高校では怪我もあって身体が6割くらいしか出来上がらなかったのですが、潜在能力が高いことはわかっていました。卒業時にプロの誘いもありましたよ。ただ、高校時代は持っているものをそれ以上に高めようとはしない子でした。欲がないわけじゃないけど、自分から主体的に考えられなかったんです。今もよく連絡をくれますが、プロという現実的な目標が出来たことで、練習もすごく考えてやっているようですね」と成長を認める。

 細野は「その頃は、プロなんて目標が遠すぎて考えることも出来なかったです」と言う。取り組む姿勢を厳しく言われることはあっても、技術面については、武田監督は「こうやって投げろ」とか「こうでなくてはいけない」と、自分の考えを押しつけることはなかった。「そういう意味では、僕には合っていました。それに監督が東洋大のOBですから、チームもそういうカラーになる。だから大学に入ってからも、全然違和感なく溶け込めたし」と振り返る。

 たしかに細野のピッチングは、ちょっと掴み所がない。大学では1年生の秋にリリーフで神宮デビューを果たし、2年の春からは各カードで先発を任された。中央大学を3安打に抑え初完封を成し遂げたと思ったら、続く日本大学戦では、初回ツーアウトしか取れずに降板なんてこともあった。崩れる時の原因は明らか。制球力の不安からフォアボールを連発し、そこに野手のエラーが絡み失点を重ねてしまう。それでも突然スイッチが入ったかのように、良い時は打者が手も足も出せない素晴らしいピッチングを見せる。入れ替え戦がそうだった。
 
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