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強豪ルイビル大の栄光と没落。過去3度の全米制覇を成し遂げるも、近年はスキャンダルまみれに【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.03.24

ミッチェルは2年時にトーナメント出場を果たすも、2回戦で姿を消した。(C)Getty Images

 世界中を覆う新型コロナウイルスの脅威は、とうとうカレッジバスケの祭典であるNCAAトーナメント(以下トーナメント)を中止に追い込んだ。1939年の第1回以来、第二次世界大戦中も欠かさず開催されてきた大会の中止はまさしく異常事態で、ファンに大きなショックを与えている。

 さらにはNBAでも、まずユタ・ジャズのルディ・ゴベアが感染を公表。次いで3月13日にはチームメイトのドノバン・ミッチェルも検査の結果陽性であると判明し、ついにはリーグ全体が中断の決定を下した。もっとも健康な若者であれば重症化することはほとんどなく、ゴベアとミッチェルも順調に回復へ向かっているようで、とりあえずは一安心だ。

 キャリア3年目の今季はオールスターにも初出場したミッチェルが、まずその名を売ったのは2018年のスラムダンク・コンテストだった。次々に独創的な技を繰り出して王者となり、特に予選2本目の試技では、1980年代に強烈なダンクで観客を魅了した"ドクター・ダンケンシュタイン"ことダレル・グリフィスのジャージーを着用して臨み話題になった。ミッチェルにとってグリフィスはジャズの先輩であるだけでなく、今回取り上げるルイビル大の先輩にもあたる存在だ。
 
 同じ州に所属する超名門校、ケンタッキー大(UK)には及ばなくとも、これまでルイビル大は数々の輝かしい実績を残してきた。トーナメントの出場回数43回はカレッジ史上5位タイであり、また1980、86、2013年には全米制覇も達成(2013年のタイトルは後述する理由により剥奪)。最大のライバルであるUKとの一戦は、ケンタッキー州の別名(Bluegrass State)から"バトル・オブ・ブルーグラス"と称されている。

 バスケットボール部(通称カーディナルス)が創設されたのは1911年。結成からしばらくは結果が出ず、ヘッドコーチ(HC)も1人に定まらなかったが、1944年に就任したペック・ヒックマンの下、1948年にNCAAとは別組織であるNAIAトーナメントで頂点に立った。
 
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