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主役の座と引き換えにグラントが掴んだ“4つの優勝リングと名脇役の称号”【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.05.07

ブルズの3連覇に貢献し、指標的にも文句なしの選手に成長したグラント。しかしその一方で、自身の待遇に不満を募らせていった。(C)Getty Images

■ケガを恐れてたびたび欠場。4連覇を逃した"戦犯"とも

 スコッティ・ピッペンとホーレス・グラントが期待通りに成長を遂げ、マイケル・ジョーダンのワンマンチームから脱皮したシカゴ・ブルズは、1991年のファイナルでロサンゼルス・レイカーズと激突する。

 グラントは第2戦で20得点、敵地での第3戦では22得点に加え、11リバウンドも記録し勝利に大きく貢献。通算5回出場したファイナルのなかでも、グラントはこのシリーズが最も思い出深いと言う。

「何しろチーム史上初の優勝だし、マジック・ジョンソンやジェームス・ウォージーを擁するレイカーズに勝ったんだからね。ほかとは比べようもないよ。あの時はチームが一丸となって戦い、それぞれが自分の役割を忠実にこなしていた。だからこそ、優勝トロフィーに手が届いたんだ」
 
 その後、1992年にポートランド・トレイルブレイザーズ、1993年にはフェニックス・サンズをファイナルで倒し、ブルズは3連覇を達成。グラント自身も1993年にオールディフェンシブ2ndチームに初めて選ばれ、以降4年連続で選出されるなど、リーグを代表するパワーフォワード(PF)の座を不動のものにしていった。

 1991-92シーズンにはキャリアハイのフィールドゴール成功率57.9%をマークしたほか、オフェンシブ・レーティング(132.2)は堂々のリーグ1位、ウィン・シェアーズ(勝利貢献度/14.1)もジョーダン、カール・マローン(ユタ・ジャズ)に次ぐ3位という好成績をマーク。しかし、当時はまだこうした進歩的なデータが開発されていなかったため、グラントの価値が正当に評価されていたかどうかは疑問が残る。

 やがてグラントは、ジョーダンとピッペンばかりが脚光を浴びる状況に、少しずつ不満を募らせていく。ジョーダンに関しては「嫌な奴ではないけれど、一緒にディナーに行くこともないし、目も合わせない間柄」と公言。ジョーダンの方も、マスコミの質問に何でもストレートに答えてしまうグラントを快く思っていなかった。
 
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自身の成長とともに、芽生え始めたエゴ