NBA

苦境を乗り越え、ユーロリーグの“キング”へ。コート内外で愛されたセオドロス・パパルーカス物語

小川由紀子

2020.08.31

パパルーカスもまた、NBAでプレーしなかった欧州最高の
選手の1人だ。(C)Getty Images

 先日、『コビーに名指しで「一緒にプレーしたかった」と評された男~(https://thedigestweb.com/basketball/detail/id=22106)』の記事内で紹介したギリシャ人ガード、ディミトリス・ディアマンティディス。彼の盟友セオドロス・パパルーカスもまた、NBAでプレーしなかった欧州トップスターの1人だ。パパルーカスもディアマンティディスと同様に、『ユーロリーグ・レジェンド』に名を連ねる選手である。

 CSKAモスクワ時代にユーロリーグを2度制覇。2006年にファイナル4MVP、翌2007年には年間MVPにも選ばれるなど、パパルーカスは2000年代の欧州バスケ界を象徴する存在だ。2006年に日本で行なわれた世界選手権では、ギリシャ代表の司令塔として準決勝でアメリカを破り銀メダルを獲得。キャリア絶頂期にあった彼の、さいたまスーパーアリーナでの勇姿をご記憶の方も多いことだろう。
 
 201cmのサイズでポイントガードからスモールフォワードまでこなした彼の一番の魅力、それは試合運びの上手さだ。"ここぞ"という攻め時を的確に見極め、その瞬間で最も確実な手段で一気にカタをつける。シュートを狙える味方へ瞬時に捌く的確なパスは溜め息モノで、彼がいるだけでコートにいる全員の動きが見違えるように良くなった。その圧倒的な支配力により、彼は"キング"あるいは、ロシアでの活躍から"ツァー(皇帝)"と崇められている。

 プレーを見ずにスタッツだけチェックすれば、出場252試合のうち先発は20試合、平均6.8点、3.9アシストという数字に、「ちょっと器用なシックスマン?」といった印象を持つかもしれない。実際、全試合で途中出場だったシーズンも珍しくなかったが、それは戦略上の理由だった。

 駆け出しの頃はスターターとしてもプレーしていたが、やがて指導者たちは、彼を最も有効に使う術に気づいた。ゲーム開始から数分間は、ベンチでじっくりと状況を観察させる。すると、その後コートに立った時には、効果的かつ最短ルートで自陣を勝利へ導く方法が頭の中にインプットされているのだ。その精密さをして彼を"コンピューター"と呼ぶ者さえいた。
 
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チーム第一のプレーヤーだが、“ここぞ”の場面では得点力を発揮