過去70回以上行なわれてきたNBAドラフトのなかでも、史上1、2を争うワーストイヤーとされるのが2000年だ。延べのオールスター選出回数はわずか3回、オールNBAチーム入り選手もわずか1名(3rdチーム)と、実績は他の年に比べ群を抜けて低い。まるで何かに呪われたかのような悲劇の2000年ドラフトを振り返る。
■オールスター選出回数3回は1980年以降でダントツの最下位
アメリカのNBA関連サイトで過去のドラフト情報を漁っていると、"史上最も低レベルだったのは何年のドラフトか?""ハズレドラフト年ワースト10"といったネタによく出くわす。
アメリカ人は元来ランキングネタが大好きだが、とりわけ"ベスト"よりも"ワースト"方面のランキングに対する情熱は並々ならぬものがある。成功譚よりも、ダメダメなケースを皮肉ったり笑い飛ばしたりするほうが、書き手も読み手も楽しめ、より多くのアクセスを獲得できるのだろう。
今回紹介する2000年のドラフトクラスは、現地識者の間で歴代屈指のハズレ年とされている。それもワースト1、2位を争うレベル。ライバル年には、2位指名選手がドラフトの2日後にコカインの過剰摂取で死亡し、他に幾人もの選手がドラッグで身を持ち崩した1986年や、史上最低ドラ1の1人と目される、アンソニー・ベネットを輩出した2013年などがある。
だが、前者はドラッグの蔓延という社会問題が背後に潜んでいたため、致し方のない部分もあり、後者はヤニス・アデトクンボというスーパースターを排出しただけで、特筆すべきドラフト年として語り継がれる可能性が高い。そういった点を考慮すると、2000年は純粋に、まごうことなきハズレ年だったようだ。
2015年、アメリカの大手スポーツ専門サイト『ブリーチャー・レポート』が、2000年のドラフト組を掘り下げて書いたコラムを掲載している。タイトルは"忘れられないほど酷い2000年のNBAドラフトクラスを追憶する"。
細かいデータも掲載されており、例えばオールスター選出延べ回数3回(2004年にケニョン・マーティン、ジャマール・マグロワ、マイケル・レッドが揃って出場)は、1980年から2010年までの31年間でダントツ最少、それも唯一のひと桁回数だそうだ。また、オールNBAチームに選ばれた選手が1人というのは、1995年から2005年までのドラフト組でぶっちぎり最少とのこと(2004年にレッドが3rdチームに選出)。
■オールスター選出回数3回は1980年以降でダントツの最下位
アメリカのNBA関連サイトで過去のドラフト情報を漁っていると、"史上最も低レベルだったのは何年のドラフトか?""ハズレドラフト年ワースト10"といったネタによく出くわす。
アメリカ人は元来ランキングネタが大好きだが、とりわけ"ベスト"よりも"ワースト"方面のランキングに対する情熱は並々ならぬものがある。成功譚よりも、ダメダメなケースを皮肉ったり笑い飛ばしたりするほうが、書き手も読み手も楽しめ、より多くのアクセスを獲得できるのだろう。
今回紹介する2000年のドラフトクラスは、現地識者の間で歴代屈指のハズレ年とされている。それもワースト1、2位を争うレベル。ライバル年には、2位指名選手がドラフトの2日後にコカインの過剰摂取で死亡し、他に幾人もの選手がドラッグで身を持ち崩した1986年や、史上最低ドラ1の1人と目される、アンソニー・ベネットを輩出した2013年などがある。
だが、前者はドラッグの蔓延という社会問題が背後に潜んでいたため、致し方のない部分もあり、後者はヤニス・アデトクンボというスーパースターを排出しただけで、特筆すべきドラフト年として語り継がれる可能性が高い。そういった点を考慮すると、2000年は純粋に、まごうことなきハズレ年だったようだ。
2015年、アメリカの大手スポーツ専門サイト『ブリーチャー・レポート』が、2000年のドラフト組を掘り下げて書いたコラムを掲載している。タイトルは"忘れられないほど酷い2000年のNBAドラフトクラスを追憶する"。
細かいデータも掲載されており、例えばオールスター選出延べ回数3回(2004年にケニョン・マーティン、ジャマール・マグロワ、マイケル・レッドが揃って出場)は、1980年から2010年までの31年間でダントツ最少、それも唯一のひと桁回数だそうだ。また、オールNBAチームに選ばれた選手が1人というのは、1995年から2005年までのドラフト組でぶっちぎり最少とのこと(2004年にレッドが3rdチームに選出)。