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辿り着いた理想郷すら手放した問題児ウェバー。類い稀な才能が送った“物足りないキャリア”【NBAレジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.04.17

サクラメントではキャリアの最盛期を過ごしたウェバー。しかしこの“理想郷”も自らの手で手放すことに。(C)Getty Images

■"理想郷"サクラメントでキャリアの最盛期を迎える

 ワシントンに移ってからは、ケガや問題児のイメージがさらに増幅される。2年続けて肩を脱臼するなど、度重なる故障に悩まされただけでなく、1998年にはスピード違反で逮捕された際、車からマリファナが発見された。同年はさらにFILAのツアーでプエルトリコへ渡った際にも、再びマリファナの不法所持で逮捕。FILAから契約を解除されるに至った。

 こうしたトラブルにうんざりしたウィザーズは、1998年にミッチ・リッチモンドとの交換で、ウェバーをサクラメント・キングスへとトレードする。

「トレードというより懲罰だ。シベリアに送られたようなものだからな」

 万年下位に沈むキングス、そして中小都市のサクラメントに追いやられ、ウェバーは落胆の色を隠さなかった。
 
 だが、サクラメントは再出発を切るのにはうってつけの環境だった。新人の頃は有名人である立場を楽しみ、毎晩のように夜の街に繰り出していた彼も、次第にそうした状況に倦むようになっていた。ナイトスポットが少なく、メディアの注目度も低いサクラメントで、彼はバスケットボールに専念できるようになった。

 移籍1年目は得点こそ平均20.0点と平凡ながら、リーグ最多の13.0リバウンドを奪ってキングスを16年ぶりの勝ち越しに導く。2000-01シーズンは自己最高の平均27.1点をあげ、オールNBA1stチームに選出。シーズン終了後にフリーエージェントとなり、故郷デトロイトへの移籍も噂されたが、キングスと7年1億2300万ドルで再契約を結ぶ。サクラメントへ移って3年、"シベリア"は彼にとっての理想郷となっていた。

 ウェバー以外にもブラデ・ディバッツ、ジェイソン・ウィリアムズ、ペジャ・ストヤコビッチなど個性的な好プレーヤーが揃ったキングスは、2001-02シーズンはリーグ最高の61勝をマーク。プレーオフも順調に勝ち上がり、カンファレンス決勝で前年王者のロサンゼルス・レイカーズと互角の戦いを繰り広げた。
 
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サクラメントも安住の地とはならず