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コビーやダンカンにリングをもたらした“史上最高の名脇役”オリー。その胆力の源は…【NBA名脇役列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.05.17

レイカーズ、スパーズでもクラッチショットを連発したオリー。この男の活躍がなければ、コビーやダンカンの優勝回数は減っていたに違いない。(C)Getty Images

■マジックも驚嘆する勝負強さ。平常心の源はこだわりのなさ

 1995 -96シーズンはすべて自己記録の平均12.0点、5.8リバウンド、4.0アシストをマークし、さらに年間100ブロック、100スティール、3ポイント成功数100本を同時に達成した初の選手にもなった。にもかかわらず、そのオフにはバークレーとの交換で、サム・キャセールらとともにフェニックス・サンズへトレードされてしまう。

 居心地の良かったロケッツを追われ、家族と離れ離れの生活を強いられただけでなく、プレータイムも減って、オリーのフラストレーションは溜まる一方。ついには試合中、ダニー・エインジHCにタオルを投げつける事件を起こしてしまう。すぐに謝罪したものの出場停止処分を食らい、4日後にはレイカーズへのトレードが待っていた。

 1998 -99シーズンには平均得点が4.9点にまでダウンし、29歳にして彼のキャリアは下り坂に差し掛かったかに思われた。だが、様々な役割を器用にこなせるオリーは、ロールプレーヤーとなったことでかえってそのポテンシャルが引き出されていく。2000年のインディアナ・ペイサーズとのファイナルでは、シックスマンとして平均9.2点をあげ、自身5年ぶり3個目となるチャンピオンリングを獲得。翌2001年のフィラデルフィア・セブンティシクサーズとのファイナル第3戦では、残り47秒で相手の息の根を止める3ポイントをお見舞いした。
 
 とりわけ印象深いのは、2002年のカンファレンス決勝だ。サクラメント・キングスとの第4戦、97 -99と2点ビハインドの場面で、オリーは試合終了のブザーと同時に3ポイントをねじ込み、チームを逆転勝利に導いたのである。シリーズ成績を2勝2敗のタイに戻したこの価値ある一発は、2005年にNBA公式サイトが実施した「オリーの最高のクラッチショット」を決める投票でも、58%の最多票を集めている。

 マジック・ジョンソンは「オリーの勝負強さはリーグ史上でも10本の指に入る」と感嘆し、かつてもう少しでトレード相手になるところだったエリオットも「大事な場面で躊躇せずにシュートを打てる数少ない選手」と賛辞を惜しまなかった。同年はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツとのファイナル第4戦でもビッグシュートを沈め、レイカーズの3連覇に大きく貢献している。
 
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「勝敗に興味があるのか?」と問われるほどの冷静さが、勝負強さの源に