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コビーが「初代ドリームチームに勝てる」と豪語。数々の新記録を樹立したロンドン五輪アメリカ代表の軌跡【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.07

カーメロ(左から2番目)の1試合37得点を筆頭に、数々のアメリカ代表記録が更新されたロンドン五輪。コビーが「俺たちなら初代ドリームチームに勝てる」と豪語したほどの強さだった。(C)Getty Images

 2004年のアテネ五輪で惨敗し、失墜したアメリカのプライドを取り戻したのが"リディームチーム"だった。2008年の北京五輪で頂点に返り咲くと、2012年のロンドン五輪にもアメリカはオールスターキャストで参戦。コビー・ブライアント曰く「ドリームチームに勝てる」ほどの豪華メンバーが世界の舞台で躍動し、栄光を確固たるものにしてみせた。

■栄光を確固たるものとすべく、今大会も豪華キャストで参戦

 2008年の北京五輪に参加した通称"リディームチーム"の活躍により、世界の覇権を奪回したアメリカ男子バスケットボールチーム。しかしそこに気の緩みは一切なく、取り戻した栄光を確固たるものとするべく、4年後のロンドン五輪にも引き続きオールスターキャストを送り込んだ。
 
 北京に続く連続出場となったのは、コビー・ブライアント(当時ロサンゼルス・レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(当時マイアミ・ヒート)、カーメロ・アンソニー(当時ニューヨーク・ニックス)、クリス・ポール(当時ロサンゼルス・クリッパーズ)、デロン・ウィリアムズ(当時ニュージャージー/現ブルックリン・ネッツ)の5名。

 ここに2010年に行なわれた世界選手権(現ワールドカップ)の優勝メンバーであるケビン・デュラント、ラッセル・ウエストブルック(ともに当時オクラホマシティ・サンダー)、ケビン・ラブ(当時ミネソタ・ティンバーウルブズ)、アンドレ・イグダーラ(当時フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、タイソン・チャンドラー(当時ニックス)が加わった。

 最後の2枠はジェームズ・ハーデン(当時サンダー)とブレイク・グリフィン(当時クリッパーズ)に決まったが、グリフィンは故障により辞退。代わって、6月のドラフトでニューオリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)から1位指名を受けたばかりのアンソニー・デイビスがメンバーに名を連ねた。

 直前のシーズンのオールNBA1stチームから4名(コビー、レブロン、デュラント、ポール)、2nd(ウエストブルック、ラブ)と3rd(カーメロ、チャンドラー)チームから2名ずつ、さらにハーデンとチャンドラー、デイビスを除く9名は同年のオールスター出場者。33歳のコビー、そしてアメリカ代表史上最年少となった19歳のデイビス以外は全員20代と、若さと経験を兼ね備えた実力者が揃い、ビッグマンの層が薄いという弱点はあっても、優勝の大本命だった。
 
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