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【NBAスター悲話】デイビッド・トンプソン――ジョーダン級の資質を持ちながら神になれなかった男【後編】

大井成義

2019.12.04

世界一リッチな若者だったが、ドラッグとケガで1984年に引退。その後もドラッグの誘惑を断ち切れず、全財産を失うほど落はくした。(C)Getty Images

■NBAに蔓延するドラッグの誘惑に負け、転落が始まる

 トンプソンは元来、優しい語り口をした、繊細で内気な性格だった。田舎育ちで家が貧しかったこともあり、少年期にありがちな誘惑は身の回りに存在しなかった。初めてアルコールを口にしたのは高校卒業時に大学に招かれた時で、その時に飲んだワインのおかげで二日間頭痛に悩まされた。もちろんドラッグなど目にしたこともない。しかし、プロバスケットボール選手というセレブ中のセレブになった彼を周りが放っておくはずもなく、取り巻きも徐々に増え、夜な夜なクラブに通うようになっていった。

 初めて試したドラッグは、ルーキーの年にパーティーで吸ったマリファナだった。すぐにのめり込むことはなかったが、数か月後に再度、翌月にもう一度、それを繰り返しているうちに周期はどんどん短くなっていった。そしてついにはコカインに手を出すようになった。その頃、コカインは"金持ちやエリートのドラッグ"であり、成功者のステイタスとして多くの者がさほど罪悪感を持つことなく摂取していた。
 
 若くして億万長者となったトンプソンも、周りと同様そうするのが自然だと思っていた。また、それは何もトンプソンに限ったことではなく、ドラッグがNBAに蔓延していたことも事実だった。ジョン・ルーカス、ガービン、ウォルター・デイビス、皆ドラッグにどっぷりと浸かっていた。ただ、若く世間知らずなトンプソンには、コカインの常習性や、使い続けることがいかに危険なのかがわかっていなかった。

 ジョン・ベルーシ(俳優・コメディアン。1982年、33歳でコカインの過剰摂取により急死。映画『ブルース・ブラザーズ』で有名)やレン・バイアス(1982~86年にメリーランド大で活躍したバスケットボール選手。1986年のドラフトでボストン・セルティックスから1巡目2位で指名されるも、その2日後にコカインの過剰摂取により急死)など、多くのセレブやアスリートがドラッグで命を落とす前の話である。

 そうしてトンプソンは、ドラッグとアルコールにゆっくりと溺れていくのであった。