NBAが現在の隆盛を迎えるきっかけになったのが1979-80シーズンだ。このシーズンにデビューしたマジック・ジョンソンの華々しい活躍で、停滞していたリーグの人気に一気に火が付いたのだ。NBA史を変えることになる“救世主”が1位で指名された、1979年のドラフトを振り返る。
■新オーナーの最初の大仕事は1979年の1位指名選手決定だった
レイカーズが復活の時を迎えている。
2012-13シーズン以降、6年連続でプレーオフ進出を逃している名門レイカーズ。フランチャイズ・ワースト記録を大幅に更新し(それまでの最長は2年)、あまつさえ毎年最下位争いに名を連ねるという体たらくである。リーグ屈指の伝統と栄光を誇るチームがドアマットに成り下がるとは、レイカーズファンのみならず、1980年代や2000年代の黄金期を知るNBAファンにとっても寂しい限りだろう。
そんな緊急事態に現れた救世主が、レブロン・ジェームズだった。12月30日に35歳となり、そろそろキャリアの最終章に差し掛かりつつあるとはいえ、いまだ地球上で最強のバスケットボール選手の1人。頼れる相棒アンソニー・デイビスを迎え、白星街道を突き進むレイカーズは、ウエスタン・カンファレンスの首位をひた走っている。7年ぶりのプレーオフ進出どころか、主力選手に故障さえなければ、優勝も十分射程圏内だ。
そのレブロン獲得という大仕事をやってのけたのが、2017年2月にバスケットボール運営部門の社長に就任したアービン“マジック”ジョンソンだった。1980年代に一世を風靡した“ショータイム・レイカーズ”の中心選手として、チームに5度のチャンピオンシップをもたらした、あのレイカーズ・レジェンドである。
FAのレブロンを何としてでも獲得するため、交渉解禁時刻の1時間前からレブロンの自宅前に車を停めて待機し、時間ピッタリに接触を図るという念の入れようだった。そして、マジックはレイカーズの歴史を再び変えることに成功する。
ところが2019年4月、「自由になりたい」との理由から突如辞任を発表。もちろん、その裏には2月に頓挫したアンソニー・デイビスのトレードや、その他にも上手くいかなかった要因があったのだろう。それでも、仕事を放り投げて出ていったと非難されても仕方がない、あまりに突然の辞任だった。
■新オーナーの最初の大仕事は1979年の1位指名選手決定だった
レイカーズが復活の時を迎えている。
2012-13シーズン以降、6年連続でプレーオフ進出を逃している名門レイカーズ。フランチャイズ・ワースト記録を大幅に更新し(それまでの最長は2年)、あまつさえ毎年最下位争いに名を連ねるという体たらくである。リーグ屈指の伝統と栄光を誇るチームがドアマットに成り下がるとは、レイカーズファンのみならず、1980年代や2000年代の黄金期を知るNBAファンにとっても寂しい限りだろう。
そんな緊急事態に現れた救世主が、レブロン・ジェームズだった。12月30日に35歳となり、そろそろキャリアの最終章に差し掛かりつつあるとはいえ、いまだ地球上で最強のバスケットボール選手の1人。頼れる相棒アンソニー・デイビスを迎え、白星街道を突き進むレイカーズは、ウエスタン・カンファレンスの首位をひた走っている。7年ぶりのプレーオフ進出どころか、主力選手に故障さえなければ、優勝も十分射程圏内だ。
そのレブロン獲得という大仕事をやってのけたのが、2017年2月にバスケットボール運営部門の社長に就任したアービン“マジック”ジョンソンだった。1980年代に一世を風靡した“ショータイム・レイカーズ”の中心選手として、チームに5度のチャンピオンシップをもたらした、あのレイカーズ・レジェンドである。
FAのレブロンを何としてでも獲得するため、交渉解禁時刻の1時間前からレブロンの自宅前に車を停めて待機し、時間ピッタリに接触を図るという念の入れようだった。そして、マジックはレイカーズの歴史を再び変えることに成功する。
ところが2019年4月、「自由になりたい」との理由から突如辞任を発表。もちろん、その裏には2月に頓挫したアンソニー・デイビスのトレードや、その他にも上手くいかなかった要因があったのだろう。それでも、仕事を放り投げて出ていったと非難されても仕方がない、あまりに突然の辞任だった。