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NBA

レイカーズとマジック・ジョンソン――NBAの歴史を大きく変えた勝負師オーナーの直感【NBAドラフト史:1979年】

大井成義

2019.12.12

5位指名のモンクリーフは5度オールスターに出場するなど、バックスの主力として活躍。背番号4はチームの欠番になっている。(C)Getty Images

5位指名のモンクリーフは5度オールスターに出場するなど、バックスの主力として活躍。背番号4はチームの欠番になっている。(C)Getty Images

 マジックの初試合、大学の体育館は超満員の観客であふれ返った。1年目から期待通りの活躍を披露し、チームをNCAAトーナメントのエリート8に導く。大学を1年で終え、プロ入りするという憶測も流れたが、マジックはまだやり残していることがあると大学でのプレーを続けた。そして迎えた1979年、マジックはカレッジバスケットボールの歴史を大きく変えることになる。ラリー・バードとの対決である。

 当時、カレッジバスケットボールは現在のようなナショナルスポーツではなく、NCAAトーナメントはおろかファイナル4やファイナルでさえテレビの全米中継はなかった。そこに降って湧いたのが、マジックとバードという、2人の天才選手によって紡がれた極上のドラマ。それまで話題にも上ることがなかったミシガン州大とインディアナ州大というBクラスの大学に、同じタイミングでスーパースターが現われ、下克上をやってのけたのである。

 迎えた1979年のNCAAトーナメント、期待通り両チームは決勝で激突。マジックvsバードのストーリーは社会現象にまでなり、ファイナルで記録した視聴率は今なお破られていない。両エースが大車輪の活躍を見せた試合は、75-64でミシガン州大に軍配が上がり、トーナメントの最優秀選手にはマジックが選出された。そして、マジックはカレッジチャンピオンの称号を手に、晴れてプロの扉を開けることになる。
 
■ドクター・バスとマジックにまつわる秘められたエピソード

 当時のNBAドラフトでは、大学で4年間を過ごした選手にのみエントリーする資格が与えられていたが、特例として困窮家庭の選手のエントリーを許可する〝ハードシップ・ルールが設けられていた。4年に満たなくても、資料を提出し、家族を養う必要性があると認められた場合はエントリーを許され、この年は5人の選手が申請。マジックもそのうちの1人だった。大学2年でレイカーズに1位指名されたマジックは、史上初めて4年生以外からのドラフト1位選手となった。

 2位のブルズはグリーンウッドを指名。以下3位のニックスはビル・カートライト(サンフランシスコ大4年)、4位のピストンズはグレッグ・ケルサー(ミシガン州大4年)、5位のバックスはシドニー・モンクリーフ(アーカンソー大4年)と続いた。

 この年のドラフト選手で、マジックを除いて日本のファンに馴染みがありそうなのは、ジョーダンの最初の3連覇を陰で支えたカートライトと、3巡目65位でキャブズに指名された稀代の悪役、ビル・レインビア(ノートルダム大4年)といったあたりだろうか。
 

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