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NBA

レイカーズとマジック・ジョンソン――NBAの歴史を大きく変えた勝負師オーナーの直感【NBAドラフト史:1979年】

大井成義

2019.12.12

12位指名のジム・パクソンは2度球宴に出場。引退後は1999年から6年間キャブズでGMを務めた。(C)Getty Images

12位指名のジム・パクソンは2度球宴に出場。引退後は1999年から6年間キャブズでGMを務めた。(C)Getty Images

 だがそれにしても、マジックの実績と存在感は抜きん出ている。わずか4年の間に高校、大学、プロのすべてのレベルで優勝を果たし、レイカーズの優勝16回のうち5回はマジックによって成し遂げられた。生まれながらのリーダーとして、勝者として、また史上最高の大型PGとして、NBAに一大変革をもたらした。さらには、リーグに蔓延していた暴力やドラッグといったネガティブなイメージを一掃し、華やかさという鮮烈な風を、新たに吹き込んでみせたのだ。

 1996年、NBAは創設50周年を記念して“偉大な選手50人”を発表したが、もし“偉大な選手5人”を選ぶとしてもマジックは必ずや選出されるだろう。

 海千山千のビジネスマンであり、修羅場をくぐってきた凄腕ギャンブラーでもあるドクター・バスの直感が、レイカーズはおろか、NBA史上最も重要な選手の1人を誕生させた。その2人のエピソードを、ドクター・バスの娘で現在レイカーズのオーナー兼社長を務めるジーニー・バスが、父が他界した翌年の2014年に『CSQ』という雑誌で語っている。なかなか興味深い内容なので、最後にそのエピソードを紹介したい。

「初めてマジックと会ったのは、ドラフト直後のことだった。彼が父に会いに来たの。その時私は家にいたから、玄関の呼び鈴に応えてドアを開けると、私より2歳だけ年上の少年が、街全体を明るくするような、ライバルは太陽だけ、みたいな笑顔で立っていたわ。
 
 私は彼をリビングルームに通して、ほんのわずかの間おしゃべりをした。その時彼が、事もなげにこう言ったの。『レイカーズにドラフトされてありがたく思っているけど、ほんの3年ほどしかいるつもりはない。なぜなら故郷のミシガンに帰って、ホームタウンチームのデトロイト・ピストンズでプレーしたいから』って。

 私は動揺を隠すのに必死で、2階にいる父にお客様が到着したことを告げるため、その場を離れた。そしてマジックの視界から外れるやいなや、慌てふためきながら階段を駆け上がって、父に私たちの№1ドラフトピックが話したことを告げたわ。

 すると父は、顔色ひとつ変えずにこう言ったの。『ジーニー、心配するな。彼は今日そう言ったかもしれないが、ひとたびレイカーズのユニフォームを着て、フォーラムのフロアに足を踏み入れた瞬間、2度とレイカーズを離れたいなんて思わないだろう』

 そう、父は正しかったわ。彼はマジックに対して何かフィーリングみたいなものを感じていて、打って出たギャンブルが大きな見返りをもたらし、レイカーズの歴史を永遠に変えるって、確信を持っていたのよ」

文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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