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NBA

レイカーズとマジック・ジョンソン――NBAの歴史を大きく変えた勝負師オーナーの直感【NBAドラフト史:1979年】

大井成義

2019.12.12

2巡目以下で最も出世したのは65位指名のビル・レインビア。4度球宴に出場し1986年にはリバウンド王も獲得した。(C)Getty Images

2巡目以下で最も出世したのは65位指名のビル・レインビア。4度球宴に出場し1986年にはリバウンド王も獲得した。(C)Getty Images

 6月25日、1979年NBAドラフトはニューヨークで開催された。22チームが10巡目まで指名し、計202人が指名されている(そのうちNBAのコートに立てたのは、たったの55人)。

 1位指名権を獲得したレイカーズのフロント陣は、当初、地元UCLA4年のパワーフォワード兼センターで、1978-79シーズンに所属カンファレンスの最優秀選手やオールアメリカ1stチームに選ばれた、デイビッド・グリーンウッドの獲得に傾いていた。そこに登場したのが、新オーナーのドクター・バスである。彼はマジックの獲得を主張。その最大の理由は“直感”だった。ちなみに彼はポーカーの名手としても有名で、世界レベルの大会において何度か上位入賞を果たしている。

■高校&大学バスケ界を席巻した超スーパースターのマジック

 デトロイトから西に向かって車で1時間半ほど走ったところに、ミシガン州の州都ランシングという人口10万人程度の小さな街がある。マジックが生まれ育った街だ。ある日父親が買い与えたバスケットボールが、マジックの人生を一変させた。起きている間中ボールを手放さず、どこへ行くにもドリブルを欠かさなかった。天賦の才を持って生まれてきたマジックは、中学生にもなるとプレーグラウンド・レジェンドと化し、街中で彼の存在を知らない者はいなかった。
 
 マジックは当時バスケットボールでは無名校だったエベレット高に進学すると、すぐさま強豪校へと仕立て上げてみせた。15歳の頃、ある試合で36得点、18リバウンド、16アシストのトリプルダブルを記録すると、試合後ロッカールームに地元紙の記者が訪れ、「あんなプレーは見たことがない、何かニックネームを付けなければ」と主張。「Earvin Johnsonか……。頭文字を使ったパターンは、ビッグE(エルビン・ヘイズ)やドクターJ(ジュリアス・アービング)にすでに使われているから、“マジック”はどうだろう?」と聞かれ、「それでいいよ」と15歳の少年は素っ気なく答えた。次の日から新聞に“マジック”の名前が躍ったが、マジック本人は定着するとは思わなかったという。

 マジックは最終学年に平均28.8点、16.8リバウンドを記録し、チームを州のチャンピオンに導く。高校には毎日のようにテレビカメラや記者が押し寄せ、100以上の大学から勧誘があった。進学先の最終候補に残ったのは、強豪ミシガン大と、それより1ランクも2ランクも落ちるミシガン州大。マジックが選んだのは、実家に近く、ヘッドコーチがポイントガードでのプレーを約束してくれたミシガン州大だった。
 

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