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NBA

レイカーズとマジック・ジョンソン――NBAの歴史を大きく変えた勝負師オーナーの直感【NBAドラフト史:1979年】

大井成義

2019.12.12

3位指名のビル・カートライトは1年目に平均20点超えの活躍を見せ、キャリアで唯一の球宴出場。晩年にはブルズで3度の優勝を経験した。(C)Getty Images

3位指名のビル・カートライトは1年目に平均20点超えの活躍を見せ、キャリアで唯一の球宴出場。晩年にはブルズで3度の優勝を経験した。(C)Getty Images

 確かに無責任な側面はあろうが、それでも彼はレブロン獲得という大仕事を成し遂げ、レイカーズの歴史を見事に軌道修正してみせた。さらには、選手時代に一大黄金期を築き上げ、名門レイカーズに新たな、そして偉大な歴史をもたらしている。

 また何かあれば、彼はひょっこりと顔を出すに違いない。マジック=レイカーズ。その方程式は、未来永劫崩れないだろう。今から40年前のあの日から、それは運命づけられたことなのかもしれない。

           ◆       ◆        ◆

 不動産で財を成したドクター・ジェリー・バスがレイカーズを買収したのは、1979年5月のことだった。ドクター・バスが最初に直面した仕事は、1か月後に行なわれるNBAドラフトの1位指名選手を決めるという、フランチャイズの将来を左右しかねない超重要事項。そして周囲のアドバイスをよそに、彼はマジックに白羽の矢を立てる。その判断がどう転んだかは、あえて書くまでもないだろう。

 1966年から84年までの間、NBAドラフトの1位指名権付与チームの決定にはコインフリップ(コイントス)の制度が採り入れられていた。東西両カンファレンスの最下位2チームが、コインの裏表によって1位指名権獲得を争う。1978-79シーズン、イーストの最下位はニューオリンズ・ジャズ(79年6月、財政難のためユタに移転。当時はイーストに所属)、ウエストの最下位はブルズ(当時はウエストに所属)だった。しかし、ジャズの指名権はトレードでレイカーズの手に渡っていた。シーズン47勝をあげ、プレーオフでカンファレンス準決勝まで駒を進めたレイカーズに、5割の確率で1位指名権が転がり込むのである。
 
 この時の様子を、1991年に『ロサンゼルス・タイムズ』がマジックへのインタビューを交えて記事にしている。冒頭でマジックは、「もしシカゴが勝っていたら、俺はミシガン州大に戻っていただろう」と語り、「コインフリップが俺の全人生を変えた」と、大仰な言葉を述べている。

 そのコインフリップは、ニューヨークのNBA本部とロサンゼルス、シカゴの3か所をスピーカーフォンで繋いで行なわれた。NBAコミッショナーのラリー・オブライエンが、双方のチームに裏表どちらのコールをしたいか尋ねる。ブルズのロッド・ソーンGMが表を選択すると、レイカーズ代表のチック・ハーン(球団の専属アナウンサー)はそれでOKだと言う。オブライエンがコインを空中に放り投げ、結果を告げると、スピーカーフォンを通して聞こえてきたのはレイカーズサイドからの歓声だった。

 シカゴのオフィスでうなだれるソーンだったが、仮にコインフリップに勝っていても、マジックは入団しなかった可能性が高く、もし気が変わって入団していたら、強豪チームとなったブルズは5年後のドラフトでマイケル・ジョーダンを獲得できていなかった。歴史の綾とは面白いものである。
 

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