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【NBAスター悲話】“ピストル・ピート”・マラビッチーー40歳の若さでこの世を去ったNBA史上最高のショーマン【前編】

大井成義

2020.01.06

マラビッチはバスケットボールの神から天賦の才を与えられたが、その神は彼に幸福までは与えてくれなかった。(C)Getty Images

"ピストル・ピート…、彼のプレーは衝撃的だった。思うに、彼は時代を先取りしすぎていたのかもしれない。" ――マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)

"それまで誰も目にしたことがなかった信じられないプレーの数々を、彼はいとも簡単にやってのけた。" ――リック・バリー(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)

"史上最高のショーマン? ピストル・ピートに決まってるよ。他に誰がいるんだい?" ――アイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)

"ショーマン"のレベルは記録や数字で計れるものではなく、その定義や評価の仕方は人それぞれ違って当然である。それゆえ、「誰が史上最高のショーマンか」などといった議論は不毛かもしれない。それでも、NBAきってのショーマンと謳われたマジックやアイザイア、辛口で有名なバリーらが口を揃えてそうコメントしている以上、こう言い切っても差し支えないだろう。

「NBA史上最高のショーマン、それは"ピストル・ピート"・マラビッチである」と。

 1月5日は、そのマラビッチの命日だ。1988年に40歳の若さで突然の死を遂げてから、今年で32回目の命日を迎える。2013年の命日に『ロサンゼルス・タイムズ』が彼のストーリーを掲載しており、その結びにはこんな文章が書き添えてある。
 
"死亡した翌日の新聞の見出しはひときわ大きく、そして暗く、そのニュースは全米中に衝撃を与えた。当時の南部において最大のビッグネームであり、なおかつ最大のショーを演じた人物は、エルビス・プレスリーとマラビッチだった。"

 1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカのバスケットボールシーンを鮮烈に彩った"ピストル・ピート"・マラビッチ。時代の寵児そのものであり、大学時代には州知事や大統領から祝電が届くほどだった。そして、カレッジとNBAの双方で得点王に輝いた真の実力者は、当代きってのショーマンでもあった。

 それまではストリートやハーレム・グローブトロッターズで見せ物として披露され、NBAではほとんど目にすることがなかったトリッキーなプレーの数々――ビハインド・ザ・バックパスやビハインド・ザ・ネックパス、ノールックパス、クロスオーバードリブル等々――をいち早く実戦に取り入れ、芸術の域まで高め、人々を熱狂の渦に巻き込んだイノベーター。マラビッチのど派手なショー見たさに、アリーナには毎晩大勢の観客が詰めかけた。

 ところが、である。バスケットボールでアメリカ中の人々に夢と興奮を与えたマラビッチが、現役引退後に意外とも思えるコメントを残しているのだ。