ランドルフが欧州へ挑戦するスタート地点となったのは、ロシアリーグのロコモティフ・クバン。モスクワから南に約1500km、黒海に近い地方都市クラスノダールを拠点とするクラブで、ユーロリーグの下のカテゴリーにあたるユーロカップの常連チームだ。
加入1年目から主力としてプレーし、平均12.7点、5.4リバウンドをマーク。ユーロカップで20連勝を達成する推進力となり、契約延長オファーを勝ち取った。
翌シーズンはユーロリーグに出場し、クラブ史上初のファイナル4進出に大きく貢献。セミファイナルでは同国のライバル、CSKAモスクワに7点差で惜敗したが、順位決定戦でラボラル・クチャを下し、チームを3位に導いてみせた。
その活躍が欧州の強豪レアル・マドリーの目に止まり、16年から“白い巨人”の一員となると、入団2年目の17-18シーズンにはユーロリーグ優勝を経験。在籍4年目、30歳となった今季はチームのトップスコアラーとして欠かせない存在となっているばかりか、欧州屈指のフォワードとして絶対的な地位を築いている。
高校まではすべてのポジションでプレーしていただけあって、インサイドでビッグマンと競り合ったかと思えば、ガード並の身のこなしも見せる。さらに欧州に渡ったあと、武器を身につけようとランドルフが徹底的に磨いたのがアウトサイドシュート。今季も24節を終えた時点で52本の3ポイントを沈め、5割近い成功率を誇っている。
また、17年にランドルフはある大きな決断をした。それは、スロベニア国籍の取得だ。
きっかけは、彼の代理人がスロベニア代表のエース、ゴラン・ドラギッチ(マイアミ・ヒート)とルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)と同じだったこと。17年のユーロバスケットを控えていたスロべニア代表は、相手チームのビッグマンを抑えられ、なおかつミドルレンジからも射抜けるパワーと得点力を兼ね備えたランドルフのようなフォワードの人材を必要としていた。
ただ、ランドルフの最初の答えは「ノー」だった。しかし、スロベニアバスケットボール協会の事務局長を務める元NBAプレーヤーのラショー・ネステロビッチ(元ウルブズほか)や、ドラギッチらの説得を受けるうちに次第に気持ちが傾き、最終的にスロベニア国籍取得を決断した。
加入1年目から主力としてプレーし、平均12.7点、5.4リバウンドをマーク。ユーロカップで20連勝を達成する推進力となり、契約延長オファーを勝ち取った。
翌シーズンはユーロリーグに出場し、クラブ史上初のファイナル4進出に大きく貢献。セミファイナルでは同国のライバル、CSKAモスクワに7点差で惜敗したが、順位決定戦でラボラル・クチャを下し、チームを3位に導いてみせた。
その活躍が欧州の強豪レアル・マドリーの目に止まり、16年から“白い巨人”の一員となると、入団2年目の17-18シーズンにはユーロリーグ優勝を経験。在籍4年目、30歳となった今季はチームのトップスコアラーとして欠かせない存在となっているばかりか、欧州屈指のフォワードとして絶対的な地位を築いている。
高校まではすべてのポジションでプレーしていただけあって、インサイドでビッグマンと競り合ったかと思えば、ガード並の身のこなしも見せる。さらに欧州に渡ったあと、武器を身につけようとランドルフが徹底的に磨いたのがアウトサイドシュート。今季も24節を終えた時点で52本の3ポイントを沈め、5割近い成功率を誇っている。
また、17年にランドルフはある大きな決断をした。それは、スロベニア国籍の取得だ。
きっかけは、彼の代理人がスロベニア代表のエース、ゴラン・ドラギッチ(マイアミ・ヒート)とルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)と同じだったこと。17年のユーロバスケットを控えていたスロべニア代表は、相手チームのビッグマンを抑えられ、なおかつミドルレンジからも射抜けるパワーと得点力を兼ね備えたランドルフのようなフォワードの人材を必要としていた。
ただ、ランドルフの最初の答えは「ノー」だった。しかし、スロベニアバスケットボール協会の事務局長を務める元NBAプレーヤーのラショー・ネステロビッチ(元ウルブズほか)や、ドラギッチらの説得を受けるうちに次第に気持ちが傾き、最終的にスロベニア国籍取得を決断した。